戦国時代の武器

いや〜ようこそいらっしゃいました。
こちらの武器倉庫ではいろいろな武器をそろえていますだ。
簡単に言ぇ〜ば戦国時代で登場したすべての武器がここに勢揃いだすよ〜
さぁ〜よってらっしゃい見てらっしゃい!!
!!


                〜集団戦を制した戦場の主役〜
長い棒の先に刃物を取り付けた武器を長柄武器といいそのなかの種類に槍は存在する。
槍という武器は世界的、歴史的に見てもごく昔から存在していた。日本史で見てみると、槍は原始時代で狩りや漁で使われ始めた。
槍が登場した背景には合戦のスタイルが大きく関係していることがわかる。そのわけは、まず名乗りを上げて一騎打ちをおこなう鎌倉時代までの個人戦が徒武者(かちむしゃ)を主体とした集団戦へと変化したことにある。そして槍の重要さは、戦国時代になるとより顕著となり、合戦の主力武器へとその地位も高まった。
集団戦ではより有利な長槍が登場し活躍した。短い物では2m前後から長いものは9mもの槍が存在していたようだ。では槍の種類を一つずつ紹介しよう。

物見槍・・・2m前後。偵察兵が主によく使い目立たないように短く作られている。
用心槍・・・2〜2.5m。護身用に家の中においておく槍だ。江戸時代によく用いられた。
馬上槍・・・2〜2.5m。騎馬武者が使う槍で、馬の背丈にあった長さが使いやすかったので短めである。
士の槍・・・2.5〜3.5。個人用で自分に合った様々な形や長さの槍がある。
持槍・・・・3.5〜5m。足軽に持たせる最大の武器として柄を長くした槍で、
      さらに長くした5m以上の槍を後に長柄槍と呼んだ。
長柄槍・・・長さは3間(約5.4m)の物が主流だが、織田家では3間半(約6.3m)上杉家や北条家では2間半
     (約45.m)の長槍を使っている。
      兵の弱い家ほど接近戦を嫌い、柄を長くした槍を使っているようだ。

                                                               ここで足軽さん達に耳より話し!!
長柄には槍印をつけたり、槍の刃の付け根に、金箔や青具をいれろ〜!!光沢のある色を塗って派手にしろ!!
馬は光を嫌う習性があるのだ。



                                      
日本刀は主に接近戦をおこなう際に柄が長く刃先の短い槍上の兵器がもっとも有利であり、その次に来るのは4、50cm程度の、片手で振り回す作業に適した小型の剣であるといわれています。そして日本刀の祖型が登場した平安時代中期ごろに、長目の刃のもつ日本刀が一般化した。貴族中心の生活が終わると、戦闘を生活の一部とする武士という人々が台頭してきた頃に、日本刀の完成期を迎える。そのころからすでに、太刀と大太刀の区別ができはじめたようである。日本刀(太刀)の刃の長さについては時代時代によって多少の大小はある。今日残っている古刀のうち、平安時代後期では刃渡り80cmぐらいが太刀の上限になっている。しかし(『平家物語』には160cmの大太刀があったと記述がある。実戦用として大太刀の刃先がどんどん伸びていったのは、鎌倉末期、あるいは南北朝のあたりだろう。南北朝時代のあたりの大鎧を着た武者の絵から考えてみると、刃渡り約121cmに達する大太刀があったと推測できる。では、この時代になぜ太刀がこんなに長大化したかといえば、実はよくわかっていない。まず考えられることといえば、この当時の高級な武者は馬上から矢を射ることをやめ、かわって、太刀や長刀を振り回して応戦することになったからだろう。日本刀の種類についてはその他に以下のようなものが挙げられる

刺刀(さすが)・・・刺突専用に鋭く作られ、先端が両刃に鍛えられた物が多く刃渡り一尺(30.3cm)前後の刀であり、よほど殺人に慣れた物でなければ斬っても致命傷には至らない。忠臣蔵であった松の廊下の刃傷で、浅野内匠頭が吉良上野介の殺害に失敗したのは、『小さ刀』という短刀で斬りつけた結果である。烏帽子の縁に当たっても鋭く切れず、背中を斬りつけたときも出血が少なく、やはり最初から刺すべきであったといわれるほど武道の素人では殺害に難しいことがわかる。
打刀(うちがたな)・・・時代劇でよく見かける腰に常時差しているものがこの刀にあたる。刃の長さは1尺(30.3cm)以上であるが、対人殺傷に流用しようとするものがあらわれ、切り下げて使うという効果も少しながら生まれてきた。

背負太刀(せおいだち)・・・文字通り背中に背負う太刀のことである。鞘を持ち上げ左肩の上から抜く。これだと相手から刀の長さを隠すことにもなり、自分の間合いで打ち抜くことが出来る。