京都の医者。本姓は「丹波」。甲賀で全忠の子として誕生する。
比叡山の僧侶で、1571年(元亀2)、織田信長の比叡山焼き討ちの後、還俗した。
曲直瀬(まなせ)道三の元で医術を修得する。また、豊臣秀吉の侍医を務める。
その後、朝廷から『施薬院使』に任じられ、「施薬院」と改姓する。
朝鮮出兵では秀吉に従い、肥前・名護屋城に出陣した。
| 読み | やくいんぜんそう |
| 別名 | 徳運軒 |
| 生没年 | ?〜? |
政治:★☆☆☆☆
武力:☆☆☆☆☆
知力:★★★★☆
「太閤立志伝2」
より
