朝倉義景に仕えた医師。
京都から下向した大覚寺義俊のために催した宴会・曲水宴で歌を詠んだ。
朝倉家滅亡後は出家し、北ノ庄で薬屋を営み、妙薬「万金丹」を製薬した。
子孫は加賀藩に仕えた。


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戦国武将列伝


読み おおつきかげひで
別名
生没年 ?〜1573

政治:☆☆☆☆☆
武力:☆☆☆☆☆
知力:★★★★☆





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「太閤立志伝2」
より

大月景秀