織田信秀の子。信長の弟。
信長の家臣として甲州征伐などに参加した。本能寺の変のときは甥・織田信忠と共に二条御所に籠もったが幸運にも逃亡に成功した。
その後、豊臣秀吉に仕えた。
早くに出家し、「有楽斎」と名のった。
関ヶ原の戦いでは徳川家康に従軍し、蒲生郷舎を討ち取る武功を挙げ、加増され3万石の大名となった。その後は豊臣秀頼を補佐する一方、大坂方の情報を徳川方に密告した。
「利休七哲」に数えられ、茶人として有名である。
晩年は京都で茶事に余生を送った。
徳川家康から江戸に屋敷を与えられ、その屋敷の跡が「有楽町(うらくちょう)」と名付けられた。
| 読み | おだうらくさい |
| 別名 | 長益 源五郎 |
| 生没年 | 1547〜1621 |
政治:★★★★☆
武力:☆☆☆☆☆
知力:★★★☆☆

「信長の野望
烈風伝」より