後生掛温泉

湯治場の宝庫東北地方は八幡平最古の歴史を持つ湯治場蒸の湯温泉宝永年間の開湯と言われる
かつては湯治場も存在したが、昭和48年の土砂崩れ災害で崩壊し、現在は湯治存在しない。今は
(湯治)玉川温泉と後生掛温泉「馬で来て足駄(あしだ)で帰る後生掛」今もその伝統が守られている。
泥湯の泥は天然蒸気の成分であるイオウや、それが地表に出る際出来た硫化鉄が沈殿したものと
岩石の変質物との混合物です。この沈殿物を蒸気がときどき押上げている、「箱蒸し風呂」に入って
みた、1人用のサウナと思えばいい。木箱に入ってイスに腰掛け、観音開きの扉を閉める。
江戸時代の拷問を連想させる顔は箱の外に出ているが、中は湯気がもうもう、たちまち汗が噴き出す。
もう一つの名物が「泥湯」灰黒色の、ほの温かい湯だ。底にたまった泥を体に塗りたくり、薄暗い浴槽
の隅に潜む、傷ついた落ち武者が傷を癒やしている気分になる。効く、と言う表現が当てはまる。
申し訳無さそうな露天風呂はハテナ?が付く別に無くても存在感が在るのに造るならば2・30人が楽し
ませる雪見露天風呂を
湯治棟は「オンドル」になっている。床下を蒸気が通り、ポカポカ温かい、雪景色の中のオンドルは極楽
が氷点下まで下がる真冬でも湯治棟室内は20度以上に保たれる。
現在では新館宿泊棟、オンドル湯治棟、大浴場、少し離れた場所に建つ別館山水と、大規模な施設に
成っている。
後生掛の地名の由来
約300年前に、三陸地方出身の九兵衛というものがこの地に住んでいた。九兵衛が重病で苦しんで
いた際、恐山巡礼の途中の女性の看病を受け、回復後その女性とともに暮らした。3年後、三陸か
ら九兵衛の妻が当地にやってきた際に、巡礼の女性は源泉地の谷に身を投げた。それを知った九兵
衛の妻もまた、「後生」を「掛」けて源泉の谷に身を投げた。以降この地を後生掛と呼ぶようになり、また
源泉をオナメ(妾)の湯、モトメ(本妻)の湯と呼ぶようになった。

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