(66話)

還来神社

ところ    右京区西院春日町春日神社内

西院春日神社の境内に還来神社(もどろきじんじゃ)という小さな社がある。春日神社の
末社として、(奈良の春日大社藤原氏の氏神を祀ったのが起こりとされています)淳和天
皇の皇女(淳和太后正子内親王)を奉っている。
かつては、出征兵士の無事帰還を祈る人々で賑わった今は海外旅行の安全祈願をしたり、
家出人や、無くし物がもどってくるように、願ことが叶うといわれている。
 
平安の初期・天長10年(833)2月28日、淳和天皇によりご創建(淳和院)した。仁明天皇
に位を譲った淳和天皇は皇后の正子内親王と共にこの離宮に移り静かな生活を送ってい
た。そのころ、京の町には悪疫が流行、天然痘、とくにライ病患者(ハンセン病)が続出、人
々は、その恐怖におののいていた。
淳和天皇は在任中、治水事業に尽くされたが、正子内親王はこの悪疫流行に心を痛めた。
そして淳和天皇に進言した。
「この恐ろしい悪疫を放っておいたのでは人心も落ち着かない。それ以上に病人がかわい
そうだし、流行をくい止めなければ・・・・・・・」
同じ考えを持っていた天皇はその場で了承、すぐさま離宮内の敷地に患者を収容する放設
の建設に乗り出した。そして放設は完成、患者はただちに収容され、手厚い看護をうけた。
「なんて、りっぱな皇后さまだ。もったないことだ」
人々は涙を流して喜び、心から敬った。
ところが、まもなく正子内親王の近辺に不幸が相次いで起こった。はじめは天皇が萠じた
ことだ。悲しみにくれた正子内親王は、尼になった。天台座主円仁から菩薩戒を受けて法
名を良祚として、淳和院を道場に法界を開くなど、仏の道にうちこうだ。
ところが、そんなある日の夜・・・・・
「火事だ。火事だ。」
人々の叫ぶ声に正子内親王は目をさました。どんどん火が迫ってくる。
「皇太后を、皇太后を・・・・・」
人々はとつさにその身を案じ、火炎うず巻く院内を捜し求めた。そして正子内親王は命か
らがら、逃げ出すことが出来た。そして嵯峨の離宮へ____
だが、皇太后は救済に取り組み、身を投げ出した淳和院が忘れられなかった。
「___もう一度、愛する人がいる西院に戻りたい」
皇太后の願いは強く、やがて焼失を免れた「松の院」に戻られた。人々は無事な皇太后の
姿を見て喜びにわきかえった。 
 
春日神社は離宮の中に、その地に鎮守として建てられたもので、還来神社は皇太后がなく
なってのち奉られた。
「もどろぎ」(還来)は九死に一生をえた皇太后が無事もとのところへ戻られた、ということか
らつけられた。
 
淳和天皇と皇太后歴代天皇の中でただ一人、散骨によって最期を飾った人物なのである。
平安京を見おろす大原野の高い山の上からまきちらされた。無から出て無に帰る。人生の
しめくくりとして、これほど見事なやりかたがほかに考えられるだろうか。
 
 

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