(97話)

京都御所の猿(猿ケ辻)

ところ     上京区京都御所内北東築地堀

みどりの芝生と松、無数の木々が豊かな苑内に白い築地壁と御溝水(みかわみず)が折り目正し
く取り巻く京都御所。紫寝殿をはじめ、多くの寝殿造りの建物が並び、千二百年前の平安京内裏
の清楚なたたづまいをいまに偲ばせる威容だ。春は葵祭り、秋は時代祭りの舞台、御苑は市民の
憩の広場として親しまれている。
この御所の、北東かどの築地築に少し欠けこんで居るところらがあって、その屋根下に一匹のサル
がいる。
寛政2年(1790)、光格天皇が御所を再建された時、御所はもともと東同院土御門内裏といって里
内裏の一つ、南北朝時代に北朝の皇居となり両朝がいっしょうになってからは代々。天皇の御座所
となった。中世以来、兵乱で荒れるにまかせたが、のち、織田信長が修理、江戸期にはいって、ま
た火災で無くなった。
光格天皇は、再建に当たって、一つの願いがあった。
「平安京造営時の内裏の古制に則って再建しようとした」
ところ、御所を取り巻く築地塀が、都の鬼門にあたるので困られた。
宮大工が木彫りの猿(日吉山王神社の神の使いといわれる)が鬼門を守るということで祀り、御所
は無事落成した。ところが、この猿が夜な夜な大声を上げては通行人に悪さをするので、金網を張
って閉じ込めてしまったという。人々は御所の北東角を猿ヶ辻とも呼んでいる事件が維新前夜の文
久三年(1863)猿が辻の変。
 
(猿が辻の変)・・・・・・・幕末に、三条実美と共に尊王攘夷派公卿として活動した姉小路公知刺客に
襲われ自宅で死去、享年27。
姉小路の一行が公卿門を出て朔平門の北、猿が辻に至ったとき、物陰に隠れていた3人の賊が襲い
かかってきました。姉小路は持っていた笏で防ぎますが、ついに顔と左肩に傷を受け、それでも屈
せずに賊の刀を奪い取ります。賊は姉小路に止めを刺すことなく遁走しますが、姉小路は邸の玄関
にたどり着いたところで倒れ、手当の甲斐もなく亡くなった。姉小路が奪った刀を検分したところ
薩摩造りの手裏剣と銘奥和泉守忠重の太刀が証拠となり、薩摩藩の田中新兵衛が犯人とされたが田
中は取り調べ中の一瞬の隙に刀を奪い、自ら喉をかききって自害した。田中は事件の数日前に飲ん
でいるすきに刀を盗まれており、自らの不明を恥じた末の自刃と言われる。結局、下手人は分から
ないままであったが、この事件を契機に一時期薩摩藩が乾御門の警備を解かれることになった。
長州他、他藩の策略ではないかと言われているが猿だけが真実を知っている 。

HOME *** *** NEXT