(96話)

了頓図子(りょうとんずし )

ところ      中京区室町新町の間六角上る了頓図子町

京の道はご存知のように碁盤の目、(東西)室町通〜新町通(北南)三条通〜六角通の間に了頓
図子(りょうとんずし)細い路がある。
ここ了頓図子町は、足利家代々の従臣・広野家があった由緒ある一角、その末裔である広野了頓
が茶亭を構え、茶道の普及にいそしんだ地として知られている秀吉からは了頓が茶を点じた縁か
ら280石の知行をあてがわれたという、屋敷内の中の小路で六角通の入り口には明治維新のころは
門があったと言われてう居る。
応仁の乱(1467年)で焼地と化した京の都に、秀吉は土居を築いて洛中洛外を区切り、七つ
の入り口を設けた。そして洛中には、平安時代にはりめぐらされた碁盤の目の都大路の間に、南
北に走る小路の新設を進めた。
「とんでもありません。私の土地をけずるとは・・・・・」
「う__ん、・・・・・」
この地は都の中心で多くの文化人や豪商が住を構えた、たとえば平安時代・日本三筆の一人橘逸勢
茶屋四郎次郎と徳川家康 三井八郎八郎兵衛(現在三井) 、鉾町(祇園祭り)として勢力を誇り、豪商
が郡拠している。さしもの秀吉も次の句が続かなかった。
広野了頓は屋敷内の表門から裏門までの通行を許した。
「みんなが喜ぶのであれば、この門をあけて、通抜けてもらおう」・・・・・・・・・・・刀を捨てて坊主になり、
茶道三昧にふけった。

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