(94話)

西野山古墓

ところ         山科区西野山岩ヶ谷町(滑石越畔)

西野山古墓は、山科盆地西部の山の斜面にある。竹やぶに覆われ、墳形などの確認は難しいが、
大正8年に周囲を木炭で覆った木棺墓が見つかり、中から純金で装飾を施した大刀、金銀平脱
(へいだつ)鏡、鉄鏃(てつぞく)(鉄製のやじり)、硯(すずり)など豪華な副葬品が確認され副葬品
が埋葬時の状態でみつかった、清水寺に残る『清水寺縁起』に墓の位置が明記されていた場所と
一致した。
この場所は平安京の東の玄関口で、そこを守る所に田村麻呂を葬ったことから、死んでも平安京
(立ったまま葬られ)の都を守ってくれる武将という考えを当時持っていたのか!!
宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758‐811)は、修行中
の延鎮に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの
山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本
堂として寄進したという。(清水寺)
後に征夷大将軍となった田村麻呂は、観音の加護の賜物か、無事東国の蝦夷を平定し、都に帰る
ことができた。延暦17年(798年)、延鎮と田村麻呂は協力して本堂を大規模に改築し、観音像の
脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀ったという 以上の話延暦24年(805年)に
坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となったこと
は史実とされ、この頃に本格的な寺観が整ったようである。
東北地方には数々の坂上田村麻呂(伝説)が有りますがそれ以外の地方でも多く語られている。

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