(92話)

狸寺の八公

ところ           伏見区桃山町泰長老西運寺

”観月橋”に何とも親しみ易い寺ある。京阪電車宇治線「観月橋駅」から東へ二百メートルの西
運寺。松風山***れっきりした浄土宗智恩院派の寺だが、古くから”狸寺”の方が馴染みがよい。
江戸末期頃の話________________。
「また、又。やられました」
「本当に仕方がないこと。なんとかならぬものかのう・・・」
人々は寄るとさわると、こんなうわさで持ちきりだった。というのも、夜ともなれば、れいの如く西運
寺の裏山・指月の森から這い出したタヌキが人々をたぶらかさいて困るのだ。
西運寺の住職・宇都宮冠道和尚も、はじめは畜生のだれごと許していたが、こう被害者が出るに
及んでは黙って打ち捨てるに行かなくなって。しかし、そこは仏に仕える身。鉄砲でドスンと一発
______では教えにはんする。
「おお、そうじゃ。一つ餌をつけて、こんこんと説教してやることにするか」
和尚の作戦は、見事に的中した。餌にひかれて出てきたタヌキは、和尚の説教をうけた。以来、
いたずらはピタッととまったのいうまでもない。そればかりか、畜生とはいえ、和尚の人柄にすっか
り敬服したのか、和尚が、ボンボンと手をたくと、裏山から姿をあらわす。和尚も、タヌキを「八公」
と名づけ、かわいがった。
「おもしろいタヌ公がいるって話じゃないか」
「タヌキを見ながら、寺にお参りするか」
不届きな話もあったもんだ。檀家も少なく、さみしかった寺は、連日、見物衆で押すな押すなの列。
付近に住んでいた陶工・高橋道八(二代目)は、陶製の八公像をつくり、門前に置いた。以来、
西運寺を人々は、タヌキ寺とよんだのだった。
 
慶長元年(1596)に雲海和尚が向島橋詰町に創建し貞享3年(1686)に現在地へ移転しました。
住職が度々変わったり無住職の時代があったりして次第に荒廃しましたが冠道和尚とタヌキのエピソ
ードは寺伝によれば、文久年間のころ。道八の狸像は維新の鳥羽伏見の戦いで行くえ不明に成った
とか!!その後も新しい狸が出たと言われています、タヌキはキツネと違い人になっきますから多くの
逸話がのこつています。

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