(91話)

世継地蔵

ところ            下京区富小路通五条下る本塩竃町

かって昔・男の天国五条楽園を真向かいに見たこの辺り。初平安期の昔、豪華な殿舎楼閣を誇っ
た河原院跡である。嵯峨天皇の12男源融が造営、邸内には鴨川の水を引き入れて池を造り、陸奥
国の塩竈浦の景観を模した庭園を築造させたのです。そして折に触れて、30石の海水を難波の
海から運ばせて竈で塩を焼かせ、風雅を楽しんだと伝えられます。これが上記「塩竈」の由来となつ
た。其の美しさを・・・・・在原業平はうたった。
 
            塩釜にいつかきにけん朝なぎに
                         釣する船はここによらなん
紫式部も、源融をモデルに「源氏物語」玉鬘十帖の舞台、六条院を展開したのだった。
源融の死後に六条院は宇多上皇の御所となりましたが、更に後には河原院と名付けられた寺院も
建立されました。しかし度重なる鴨川の氾濫や応仁の兵火により廃絶し
時代は下って慶長8年(1603)、徳川家康が愛妾の阿茶の局(法名上徳院)と、その娘の菩提を弔
うために塩釜山上徳寺を創建しました。浄土宗本派に属し境内に安置した。”世継サン”で広く知ら
れる寺である。古くから、子種に恵まれない夫婦に霊験あらあらたかで、いまもたえずねる参拝客が
あとを絶たない。
 
「なんとか子種が授かりたい!!」
男は上徳寺本堂にひざまづき・・・一心不乱だつた。明暦三年、男は八幡の在で、名は山田甚平
ついさき頃、一子を病で失った、どうしたことか、あと子供が生まれないかと言って自分が産む
ことは出来ない。このままでは世継がなければ、家系が絶える事になるから、溺れる者の、何と
かのたとえ。
十七日の願懸けを、一日も欠かす事無く、いよいよ満願の日、山田甚平さん、祈願のつかれがで
たのか、本堂前でうとうと。と、夢の中にお地蔵さんが浮かび上がった。 
甚平さんはこれもなにかの縁、頭に姿を刻み込んで、その尊像を彫って本堂横に安置、さらに一
層の祈願を励んだのだった。やがて、一子を授かったのは言うまでもない。山田さんの家はます
ます栄えた。
以来、安産、子宝を授かりたい夫婦、子供の無病息災に霊験あらたかな”世継地蔵さん”として
親しまれています。

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