(87話)
軒端の梅
ところ 左京区浄土寺真如町83
| 関白藤原道長(法成寺)の愛娘・彰子の住まいで兄・頼通(平等院)『栄 花物語』や『源氏物語』で |
| 語られる華やかさも感じることさえままならぬが、当時、京都御所(法成寺)の北東側一帯に位置した |
| ことから、「東北院」と呼ばれた。 今は廃境・・・・・・・ |
| 長保元年(999)11月7日、定子は第一皇子・敦康親王を産み落としますが、道長は愛娘・彰子の入内を |
| 強行、更に翌年2月25日、彰子を中宮、定子を皇后とする前 代未聞の一帝二后の藤原家のこの世の春 |
| この院内の小堂に、彰子に仕えた和泉式部が住んでいた、彼女は庭の一本の梅を大層愛情をそそいだ |
| 和泉式部に付いては方つていましが、越前守大江雅致の娘。 はじめ和泉守橘道貞と結婚し、夫の官名 |
| により和泉式部と呼ばれました一女少式部内侍(死亡)までもうけましたが。その後、道貞と別れて |
| 冷泉天皇の皇子兄弟為尊親王、敦道親王と恋愛し、そのときの情熱的な恋愛体験を物語ったのが |
| 『和泉式部集』『和泉式部日記』などです。両親王が亡くなった後、藤原道長の娘、一条天皇中宮彰子 |
| に仕えました。その中で藤原道長の家司である藤原保昌と再婚、愛に生き、恋に生涯を終えた女性と |
| 申しましょうか、平安期の女流歌人の第一人者で、歌もそれはそれは、燃えるような恋の歌がほとん |
| どした。 |
| この式部 が愛した梅が、寺の移転、時代の移り変わりをえて、謡曲「東北」の物語とともに、いまも |
| ここに植えつがれているのです。 |
| 和泉式部がなくなって、何年かのちのことで御座いましょうか・・・・・・・・・・・・ |
| 諸国行脚の、一人の旅の僧が、たどりついたのが、東北院。僧が見事に咲いた梅を観ていると、女性 |
| が現れ和泉式部が植えた「軒端の梅」と謂れを語り、我は梅の主と花の中に消えます。 |
| 僧は法華経を唱えていると、和泉式部が美しい姿で現れ昔の物語を話し舞を舞います。やがて別れを |
| 告げて方丈に消え、僧は目覚めると梅の香が漂っていたという。 |