(81話) 

首塚大明神

ところ       西京区大枝沓掛町老ノ坂峠

大枝の集落を抜けると、旧山陰街道は国道9号線と合流し、老ノ坂トンネルをくぐって亀岡市
へと通じますが、トンネルの手前の細い道(旧山陰道)をたどると、老ノ坂峠へ続く昼間でも
薄暗く人の往来も途絶えた所に酒呑童子の首を埋めたと伝えられる、首塚大明神が祀られ
ています・・・・・・・酒呑童子を語れば諸説になりますから???
 
この話し平安時代、藤原道長摂関政治の頃の鬼・・・自己中心に考えると反するものは悪→
鬼,京の都を襲っていた現状(悪政や疫病)が米国がイラクを襲ったように!!!
猛威をふるって人々を苦しめた疫病の神を、京の入り口で都の勇士が退治するという物語で
あったのか?
当時丹波地方豪族は鉱山(鉄)をもち財力あり一説によれば華中・華南にいた海人族で青銅
を使い南方系髪が赤い大男の西洋人、血を飲んだというのはぶどう酒ではという説 、都に
来た時に接待に酒と遊女で持て成した中央政権とっては恐れる勢力ではなかったのか説。
治安三年(10239丹波の政治は良い政治とはいえず、その結果百姓達の反乱が相次いで
いたようだ。丹波守藤原頼任の騎馬兵に追い散らされている等があった。
酒呑童子の云われについても、室町時代の「御伽草子」大江山絵詞→(酒呑童子)。
酒呑童子→(伊吹山絵詞・大江山絵詞)がある童子とは佛教を伝える子されていたのだが
雑役にこき使われる人「働子」が転じたとたとも言う、山中の〈捨て童子〉が「息を吹く」から→
伊吹童子なんて混同も多く酒呑童子伝説成立している。
陰陽の安部晴明が祓いの祭り事などで裏鬼門西南(東北・比叡山には延暦寺が置かれ)に
置いたのでしょう又「老ノ坂」は「大枝坂」から云われている。
 
首塚大明神社務所の由緒書きには以下のように書かれている 
平安時代初期。(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、今日の都へ
出て金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので、人々の心に大きな不安
を与えていた。天子(天皇)は源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう
じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り、苦心の後 酒呑童子とその一族を征
伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の
地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天使様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云は
れたが相模の国の足柄山で熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから
都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が急
に持ち上がらなくなった。そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝
えられている。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今までの罪を悔いこれからは首から
上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊
験があらたかである。
 昭和61年3月 宗教法人 首塚大明神社務所

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