(8 話)

平将門(神田明神)

ところ 下京区四条新町西入ル下ル

余りにも小さな明神さんである、その場にたどり着くのに大変だった、民家の軒に赤い
端切れがぶらさがつていなければ、誰しも見過ごして仕舞う程である。
四条通りの新町と西洞院の間を南に下がって細い路地があつて右側「神田明神」さんが
ある、民家の玄関壁にうまって居る、狐格子の横にかかったカマボコ板のような板切れに
由緒書はすっ借り古びて、わずかに墨の跡があり「史跡。神田明神」と読める。
社は小さいが、日本三大祭りで名高い神田の神田明神とわ無縁でもない。
 
 
神田明神は平将門を奉って居る神社である将門は関西では余り人気がないが同じ様に
家康と太閤にも言える、まあ其の土地に対しての貢献度になりますね。
平将門は桓武天皇の血を引く一族である。藤原忠平に仕えて検非遺志(警察キャリヤ)
になる野望を抱いていたが見事失敗して関東にくだつた。
 
そして、のち伯父国香を殺し、関東一円を侵略、下総国猿島に王城を築いて文武百官
を置き、 自らはまた八幡大菩薩の御神託を受けたとして、新皇を称する無頼ぶり。
この独立国家に天皇の怒りを買ったのは言うまでもない。
「思い上がるのもはなばなしいわ。早速に討ちとれいっ」
鎮圧に向かった平貞盛、藤原秀郷。将門は討たれた。そして首だけが京に持ち帰られ、
四条新町の地に埋められた。(胴体は岩井市の延命院。又東京の大手町に首塚有り)
「おのれにっくき京の町、いつかは復讐してくれん」
将門の京への恨みは並大抵ではなかった、住民になにかとたたり、石碑を建て奉っても
何度も壊れ。人々も困り果てた、その話を聞いた空也上人が。
「なんとかして進ぜよう」
将門埋葬の地に供養道場を建て、 毎日念仏をあげた。ある晩、首が天高く舞い上がって
東の方に消えて行く。
”神田の名は、やはり東京。神田明神が将門を奉っているので、その名がつけられたの
だろう。本家よりも分家の方が発展しているのは皮肉ものです。

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