(78話)

五条の橋(松原橋)

ところ        下京区美濃屋町東入る

御伽草子『室町物語集』の和泉式部(道命の草子) によれば・・・・・・・・・・・
牛若丸と弁慶より約50年前都一の五条の橋(松原橋)は清水寺に通じる賑うある夜の事
和泉式部は14歳にして男児を出産止むにやもえづ、その子を五条の橋に捨ててしまった、
その子には菖蒲あやめの産着を着せ、小袖の端に歌を一首書き、鞘さやから抜きだした守
刀を添え涙ながらに立ち去り。町人に拾われ養育され、七歳のときに比叡山に上りました。
学問に対する志が深く、他に比べる者がいないほど熱心でした。慈慧僧正の教えに従いま
すます成熟し、やがてその名は、道命阿闍梨〔どうみょうあじゃり}として、天下に知られるよ
うになった。
道命が18歳のとき、内裏で行われた法会をつとめたのですが、その時、風が吹き局つぼ
ねの御簾みすみをそよ風が2〜3度吹き上げた。 道命は、一瞬ですが御簾の奥に、眉まゆ
のあたりに愛敬のある30歳くらいの女性が目に入りました。
その女性は、思い込んだ様子で法会に聞き入っていた。
道命は、ひと目見たその時から心奪われ、比叡山に戻ってからもその面影が脳裏につきま
とい離れなかった、道命は、その女性をもう一度見たいと思い柑子売こうじうりになって、宮
中に入り込み柑子を売りました。
道命が柑子売りをしながら歩いていると、例の女性の部屋から下女が出てきて、20ほどで
柑子を買い求めた、道命(中古三十六歌仙の一人)は、柑子を数えるのに「恋の歌」を歌っ
て数えた。
 
「一つとや、ひとりまろ寝の草枕 袂たもとしぼらぬ 暁あかつきもなし」
一つとや、ただ一人着のみ着のままで寝る旅寝の床に、 涙で袖を濡らさぬ暁はない、
 
「二つとや、二重屏風ふたえびょうぶの内に寝て 恋しき人をいつか見るべき」
二つとや、二重に立てた屏風の内に寝て、恋しき人をいつ見ることができようか、
 
「三つとかや、見ても心の慰なぐさまでなど 憂うき人の恋しからん」
見ても心が慰められないで、 どうしてつれない人が恋しいのだろうか、
 
「四つとかや、夜深よぶかに君を思ふらん 枕かたしく袖ぞ露けき」
夜ふけには貴女を思うことだろう、ひとりわびしく寝る袖は涙の露でしめっているだろう
 
「五つとや、今や今やと待つほどに 身を蜻蛉かげろうになすぞ悲しき」
今か今かと待つうちに、かげろうのようにはかなくするのは悲しきことだ、
 
「六つとかや、向かひの野辺にすむ鹿も 妻故ゆえにこそなき明あかしけれ」
向かいの野辺にすむ鹿も、 妻を恋うため鳴き明かしたことだ、
 
「七つとや、なき名のたつもつらからしい 君故ゆえ流すわが名なりけり」
跡形もない浮名のたつのも辛くあるまい 貴女のために流す私の浮名であるよ、
 
「八つとかや、弥生やよいの月の光をば 思はぬ君が宿にとどめよ」
三月の月の光をば 私を思ってくれない貴女の宿にとどめてほしい、
 
「九つや、ここで逢わずは極楽の 弥陀みだの浄土で逢ふ世あるべし」
この世で逢わないならば 極楽の弥陀の浄土で逢うことであろう、
 
「十とおとかや、鳥屋とやを離れしあら鷹たかを わが手にひき据すゑて見ん」
鳥小屋から離れたばかりの雛の鷹を いつ自分の手に据えて見ることだろうか、
 
「十一や、一度まことのあるならば 人の言ことの葉嬉しからまし」
一度でもまことがあるならば 人の言葉が嬉しく思われるだろうに、
 
「十二とや、憎しと人の思ふらん かなはぬことに心尽つくせば」
憎いと人は思うだろう できないことに心をくだいているので、
 
「十三や、さのみ情なさけをふり捨てそ 情は人のためにあらねば」
そんなにつれなくするものではない 情は他人のためではなく自分のものなのだから
 
「十四とや、死なん命も惜しからず 君故ゆえ流すわが身なりせば」
ととえ死んでも命は惜しくない 貴女のために流浪する我が身なのだから
 
「十五とや、後世ごせの障さわりとなりやせん 身もはかなくも逢はで果てなば」
来世の幸の妨げとなるかもしれない もし私が貴女に会えずにはかなく死んでしまったならば、
 
「十六や、陸地ろくぢのほどを過ぐるにも 君に心をつれてこそ行け」
陸地のあたりを過ぎるにも 貴女のことを思いながら行くことだろう
 
「十七や、七度詣もうでも度々たびたびも 君に逢う世と祈りこそすれ」
一日に七度ずつ神に詣でるたびごとに 貴女に逢う時がきてほしいと祈ることよ、
 
「十八や、恥はづかしながら言ふことを 心強しも逢はぬ君かな」
恥ずかしく思いながら言うことを 無情にも逢ってくれようとしない貴女なのですね、
 
「十九とや、くるし夜ごとに待ちかねて 袖そでいたづらに朽ちや果てまし」
苦しい思いで夜ごとに待ちかねて ひとり敷きし袖が空しく朽ちてしまうのだろうか、
 
「二十とや、憎にくしと人の思ふらん われならぬ身を人の恋ふれば」
憎いと人は思うであろう 自分であって自分でない身を人が恋しく思うので
 
下女は、道命の歌に感激して言った。
「柑子を欲張るわけではないけれど、歌があまりにも素晴らしいから、もう一つ柑子をお添え
なさい」
道命は、リクエストに答え柑子をもう一つ添えながら歌った。
 
「二十一と、一度情なさけこめんとて 多くの言葉を語り尽くしつ」
二十一とや、一度だけの情をこめようとして 多くの言葉を語り尽くしてしまった、
下女は、これほど雅やかな歌を詠える人が何故柑子売りをしているのか 不思議に思った ,
このことは帝の耳にも入り。
「その柑子売りの帰り先を調べよ」
帝は命じた。
道命は、日が暮れたので宿をとり下女は、その宿を確認して帝に報告すると、帝は云った
「そちは柑子売りの詠んだ言葉を知らないだろうが、あれは伊勢が源氏を恋しく思って詠ん
だ歌なのだ。」
この話は、例の局の美しい女の耳にも入り、その女は思案にくれました。
「思いつめられて、落ちつかぬことでありましょう。」
女は情け深い人だったので、下女一人を連れて宮中を出て、 道命の宿へ行って、女は宿の
戸を叩いて、歌を詠んだ
 
「出でて干せ今宵こよいばかりの月影に ふりふり濡らす恋の袂たもとを」
今夜の月の光で、恋のため涙の雨で降り降りして、 濡らしている袂を外に出て乾かすがよい、
これを聞いて道命は、夢のような気がた、道命は歌を返しました。
 
「出いでずとも心のあらば影さして 闇をば照らせ有明の月」
こちらから出ていかなくても、貴女に心あるなら 、有明の月のように闇を照らして下さい、
この歌を聞いて情け深い女は、中へ入って来て、そしてその夜、深い契りを結んだ!!。
夜も更け、女が起きて帰ろうとした時女は、道命が持っている守刀に気付き。女はさりげなく
道命に聞くと。
「女人でもない貴方が、なぜ守刀を持っているのですか?」
道命は答えた。
「これは私にとって、訳ある守刀なのです、私は五条の橋の捨て子でした。この守刀は私に
添えて捨てられていたものなのです。 私は、この守刀を母と思い、肌身離さず持っている
のです」
その話を聞くと、女は顔色を変えて尋ねた。
「産着はどんなものでしたか?」
「菖蒲の小袖で、端に一首の歌が書かれていました」
道命がそう答えると、女はまた尋ねました
「どんな歌ですか?」
道命はその歌を詠みました。
「百年ももとせにまた百年は重かさぬとも 七つ七つの名をば絶えしな」
百年にまた百年を重ね年をとっても 七つ七つで十四歳という若い名を失いたくない、
その歌を聞いて女も、肌身離さず持っていた鞘さやを取り出し、その鞘を道命の守刀に合わ
せてみると、ぴったりと合わさり 疑いもなく、モトの鞘に収まった。
その女こそ、道命を生んだ和泉式部でした。 二人は親子の間柄とは知らず、結ばれていた
のです。和泉式部は、まだ夜も暗いうちに都を出て行きました。 そして悟りを開くため、
播磨(姫路)の書写山(しょしゃざん)へ上り、性空上人の弟子になった。
 
「暗きより暗き闇路やみぢに生むまれきて さやかに照らせ山の端はの月」
人は暗い闇の世から暗い闇の世に生まれて 光の世に逃れることができない。 山の端の月よ、はっきりと照らしておくれ、
2人の夫(橘道貞・藤原保昌)と2人の皇子(為尊親王・敦道親王)の他に、源俊賢、源雅通
源頼信、藤原頼宗、など。名前を挙げられている男性だけでこれだけいるのですから、美貌
と歌才の持ち主でありさらには恋多き女性として、のちに様々な伝説が生まれ、語られてい
ます。

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