(71話)

百たたきの門

ところ    上京区七本松通出水下ル 観音寺

その昔、このあたりは大雨のたびに水つきになった。出水(でみず)、その名は文字通り
”水”に由来する。
出水通の西のはずれに、出水七不思議の一つ、”百たたきの門”を山門に持つ浄土宗観
音寺がある。_____その山門の節節が数奇の歴史と伝説を物語っていた。
この門は豊臣秀吉が贅を尽くした城。桃山時代最大の伏見城(聚楽殿)の牢獄門であった
と伝える。高さ二・五メートルの扉はクスノキの一枚板でつくられており、牢門にさえ金力を
つぎ込んだ秀吉の金政のほどがしのばれる。1623年、質実を好んだ徳川家康の命によ
つて取り壊され、二条城、西本願寺に移された城門とともに、この牢門は観音寺に移建
された。
この門の右端に高さ80センチ、横40センチの小さなくぐり戸がある。”百たたき”のいわれ
はこのくぐり戸からくる。
秀吉の没前、たびたびの築城や朝鮮派兵による徴税に、庶民は苦しみ、京の町は騒然とし
ていた。横行する無頼、盗人が絶えない一方。牢はあふれかえった。
「二度とこの門をくぐるな・・・・・・」____________________こんな願いをこめ、軽微な罪人をこ
の門前で百回たたきの罰のすえ解き放った。百たたきといえ、堅い竹ムチで打つので、衣
服を通し、骨をくだく囚人もいた。長い空しい牢生活のあとでムチ打たれ、血を吐き、息絶え
る罪人もあった。
「観音寺さんの前を通ると・・・・・きまって人の泣き声がする」___________門が同寺に移
建されてほどなく、こんな噂が近郊のの人々の間に広まり。夜になると、メッキリ人の往来が
なくつなた。
噂を聞きとがめた住職が木陰から門をうかがった。と、風がふくたびにくぐり戸が自然に開
き、泣き叫ぶような人の声がするではないか。
「ウウゥ・・・・・」
それは悲しい、ノドを引き絞るような声だった。風がやむといつの間にか人声も聞こえなく
なった。
「きっと罪人の霊が門にのり移ったに違いない」
罪人といえ人の子・・・幼い時から決して悪人であらず何かの事情で!!!
それからというものは、住職は百日の間、食を断ち、鎮魂の念仏を唱えた。以後、二度と人の
声は聞こえなくなつたという。
木目もあらくなり、風月を耐え忍びクギのぬけ落ちた古びた牢門。今では隙間さえ目立つ 一
日中、門はあけ放たれているが、小さいくぐり戸だけは二度と開かれない。
 
西本願寺に豊臣秀吉の建てた聚楽第の遺構といわれ、飛雲閣(国宝)は桃山時代様式の邸
宅建築として特色を有している。一般拝観出来ません、金閣&銀閣と共に京都三名閣に数
えられています。地元の人でも知らない人が多いですが、偶然にも拝観しました。!!
桃山時代様式というよりも戦国時代を忍ばせる邸宅、廊下は鴬張り、部屋は抜け穴あり、
風呂場から外へ船で逃げる等・・・・・五十年前の印像が今ものこつている。

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