(68話)

牛若丸

ところ 下京区五条大橋

<京ノ五条ノ橋ノウエ、大ノ男ノ弁慶ガ、ナガイ長刀フリカザシ、牛若メガケテ、切リカカ
ル・・・・・・>        数々の伝説の男・・・・・・牛若丸(源義経)
有名な牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の出会いを、歌った、この童話。今の子供はともか
く、昔の子供?、だれもが知っている。ところが、牛若、弁慶初の出会いの場所は、その一
五条橋にあらずして、五條天神社室町時代に書かれた「義経記」には、牛若丸と弁慶の出
会いは、神社の境内であると記されている。
それでは、当時の五条の橋がどこであったかといえば、それは現在の松原橋である。安
土桃山時代から江戸時代初期の頃、松並木が続く道だったことから「五条松原通り」と呼
ばれだしたのが、いつしか「五条」を略して「松原通り」の呼び名になった。
そこで、消えてしまった「五条通り」の名を復活させようと、六条坊門小路を五条通りと改
めた。
かつて、この神社の境内には西洞院川が流れ、つまり牛若丸と弁慶が出会った五条の橋
とは、鴨川に架かる松原橋ではなく、この神社の境内に流れていた西洞院川に架かってい
た橋であるという説がある。
弁慶が999振りの太刀を奪い、あと一振りを祈願して五條天神社に詣り、そこで待ち伏せ
していると牛若丸に出会った。
そこで勝負を挑むのだが、弁慶は牛若丸に敗れてしまう。
翌日、弁慶は清水寺に参拝し、そこで牛若丸を待ち伏せして、清水の舞台において、再び
勝負するが、またしても負けてしまい、牛若丸に主従の誓いをする。
この話が元になり、五條天神社と清水寺という2ヵ所の設定が、いつしか清水寺へ向かう
道と五条の橋ということで、松原橋に結びついたようである。
その二
牛若丸の母、常盤御前は、7歳になった牛若丸を、鞍馬寺へ預けますが、自身は現在の
紫野の地に居を構え暮らしていたらしく、この頃には、常盤御前ではなく築山殿と呼ばれ
ていた。
時折、牛若丸が鞍馬から母に会いに来ていた時弁慶に遭遇する
紫野には、築山殿が暮らしていたといわれる場所は現在でも「上築山町」「下築山町」と
いう町名が存在しています。さらに、「上築山町」にある某米屋さんの中庭には、「弁慶の
腰掛け石」といわれるものが現存する。
土地の伝説によれば、牛若丸と弁慶の出会いは、この梶井御所の前の橋(御所ノ橋)とい
われ、のちに、ごしょのはしがごじょうのはし(五条の橋)に変わったといわれる。
古来開けずの門ともいわれ天台座主在京の梶井御所の門で応仁以前は大徳寺の南に隣
接していた。
さて、真相はいかに!?
鞍馬寺から大徳寺の南・・・・・・11k徒歩約2時間
鞍馬寺から五條天神社・・・・・・15k徒歩約3時間
鞍馬寺から五条大橋・・・・・・・16k徒歩約3時間少々

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