(67話)

大覚寺

ところ    右京区嵯峨大沢町4

歴代天皇の中でも最も優れた文化人である嵯峨天皇(786〜842) 嵯峨院御所(大覚寺)
検非違使などを設け、律令制を固めた。中国文化に目を向け、唐風文化を興隆,漢詩、和歌
華道.朝夕に仏前に花を供えたそれが子孫に受け継がれ。全国的に知られている生け花の
家元・嵯峨御流・池坊しかし今の池坊創価学会(公明党)花を供えている。
茶を日本に伝えた人物と言えば、まず栄西の名が挙げられる。鎌倉時代、臨済禅をもたらし
た栄西は、お茶の種を宋から持ち帰って植え、茶の開祖・・・・
どちらも茶には替わりがないが、栄西がもたらしたのは、茶の葉を臼でひいたて作った抹茶
なのに対し、平安時代に飲まれていたのは、よくTV等で放映されてるチベットやモンゴルで
よく飲まれている、だん茶(茶の葉を蒸してレンガ状に固めておき、それをほぐして、煎じて
飲むのである)
チベットではバターを、モンゴルでは羊の乳を加え、塩で味付けする。
日本でも奈良時代から平安初期にかけて牛乳がよく飲まれ、乳製品も作られていた。
ハイカラ嵯峨天皇のサロンではだん茶がどの様に飲まれていたかはさだかではないが、ど
ちらにしても同じ茶でも抹茶とは大違い・・・・・
平安初期のこの時代ハイカラな飲み物であったに間違いない。しかし淡白な日本人には好
まれず、廃れて行き栄西だ新しい抹茶を移入するまでは、騒がれなかった。
平安時代は宮廷文化が盛んになつた時代で、風流を賞でつつ酒宴を張ることが好まれたて
嵯峨天皇は庶民には魚を食べ酒を飲むことを禁止しながら、自らは酒にめつぽう目がなか
った。
実はこの時代に接待酒で天皇から出世を取り付けた男がいる、藤原冬嗣(正四位)は嵯峨
天皇を招いて、酒宴を催した。招かれた天皇はもてなしぶりにすっかり感激し、きをよくした。
それを報いる為、冬嗣を従三位にした。

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