(64話)

金福寺弁天像

ところ      左京区一乗寺花ノ木町

一乗寺の里、かって武蔵が吉岡と決斗の時、石川丈山が余生を送った詩仙堂、上田秋成「雨
物語」野仏庵のほど近くにある 金福寺_________。俳聖・松尾芭蕉・与謝蕪村などにゆかり深
いこの寺。また維新の秘史が横たわっている。井伊直弼に関係深く、安政の大獄に一役買
った村山たか女(可寿恵)が、敗残の身を寄せたのが、ここである。
井伊大老の開国政策を助けるため、隠密として攘夷急進派たちの情報を大老に流していた、
たか女は、大老が桜田門外で暗殺された直後、壬生に潜伏中を勤王の浪士に襲われ、三条
河原で寒風の吹きつける冬空の中で三日三晩”さらしもの”にされた。
この窮地を彼女の恋がたきであったという志津女に助けられ、奇跡的に一命を取りとめた。
たか女は生まれ故郷の彦根の清涼寺に落ち着き、仙英禅師の弟子となって「妙寿」の名を
頂いた_____。
ところがたか女の身の上にはさらに苦難のドラマが続いた。間もなくたか女は同寺を追いたて
られるはめになったのだ。というのは、同寺にはその時、百人ばかりの雲水が修行中だった
からだ。禅師は心を痛めながら、たか女にいった。
「美しい尼僧がいたのでは、男僧の心が乱れて修行が出来ない。申し分けないが何処かへ
移ってくれないか」
これには、気丈夫なたか女もわが身のあわれさに、がっくりと力を落とした。
そのころ、清涼寺によく出入りしていた大野木宮内というひとがいた。南禅寺金地院の坊宮
(おもに年貢取り立て役)で。同院長老の可庭老師に認められ、世情に通じていた。
しかも、可庭老師は僧録司として全国僧侶の取り締まりをしており、とくに京の寺院の現状に
明るい。
「そうだ。あの方に頼んで京の寺院に____。できたら密命によって隠密活動をしていた、
あの静かな一乗寺あたりがいい」
たか女は。思い立つとすぐさま宮内にその旨を申し入れ、禅師にも協力をたのんだ。そして話
は金地院可庭老師にただちに伝えられた。
「なんとかわいそうな・・・・・」
可庭老師は、非常にあわれみ、さっそく金福寺に”渡り”をつけてくれた。
 
たか女は己已年(つちのとみ)生でまれ当時五十四歳。巳は蛇、蛇は弁天様の使いである、
、こんなたか女は、人知れず彦根の弁天様を深く信仰していた。
「あの三日間の”生きさらし”の刑に耐えたのは弁天様のお力だ」______たか女はこう
信じ込んでいた。そして「新しく住みついた金福寺に、弁天様を祭ろう」______と。そん
なたか女に「弁天堂建立にひと肌るぎます」と申し入れてきた男がいた。三条麩屋町に住む
岐阜屋多吉。たか女が芸妓のころ(21歳)ひいきにしていた織物問屋を営む豪商だ。
弁天堂は、こうした人たちの寄付でたちまち完成。。。たか女は最後の十四年間を静かにおく
つた。
たか女の仮墓が金福寺の墓地にあるが、本墓は約400mほど北にある圓光寺境内の墓地に
ある木版活字を使った書籍の出版活動をしていたことで有名である。圓光寺には今も伏見版
木活字52320個が残っていて、陳列されている、金福寺は一時期、荒廃したが、与謝蕪村
によって整えられた。
村山たか女は船橋聖一作『女の生涯』で知られるようになつた。新聞連載やNHK。大河ドラマ
や映画などで一時は賑わった、
 
一乗寺は平安時代から疎まれた土地でもありました。その風土が反骨の郷土を作りました。
建礼門院。楠正成。鴨長明や三条実方、梅田雲濱、後水尾上皇、反抗者や失脚者を常に
温かく受け入れています。
 
 
                 うき我をさびしがらせよ
                            閑古鳥
 

                       松尾芭蕉

 
                   我も死して碑に辺(ほとり)せむ
                                 枯尾花
 

                          与謝蕪村

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