(63話)

本光寺

 

ところ    下京区油小路木津屋橋上ル

新選組屯所を壬生から西本願寺の集会所さらに不動堂村(油小路木津屋橋下ル)に移転。
最後の屯所不動堂村は私が生まれ育った地しかし本光寺はまつたく記憶にない!!
伊東は醒ヶ井木津屋橋の近藤の妾宅に招かれ、ほろ酔い加減で帰る夜道を隊士に斬られた
この場所で刺殺しされた。この知らせを聞いた伊藤一派は、直ちに駆け付けたが、待ち伏
せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られた・・・世にこれを油小路七条の変
という伊東とその同志の離脱は新選組という組織存続の最大の危機でした。京を去る一ヶ月
半前の出来事、又三日前に坂本竜馬が近江屋で刺客に襲われ絶命。
新選組は、伊東の死体を七条通と油小路通の交差点まで運び、囮として放置。それを引き
取りに来る伊東の同志たち御陵衛士を待ち伏せた。
新井忠雄、阿部十郎、内海次郎が不在(幸運?)でしたが、遺体を駕籠に収容しようとし
た鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛、藤堂平
助の7人を新選組が包囲。激闘が行われました。鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、
富山弥兵衛、橋本皆助の5人は包囲を破り脱出しましたが、服部武雄、毛内有之助、藤堂
平助の3人は踏みとどまって討死しました。
伊東は「王事に尽くさんがために投げ出した命なれど、最早命運尽きたるは残念至極。
新選賊!」と言って絶命した・・と本光寺に伝わっているそうである(昭和48年に油小路
に殉難の碑が建てられたときの除幕式における住職吉田智照氏談話『新選組誠史』に収録)
伊東甲子太郎は水戸出身ではありませんが(常陸志筑藩士の嫡男)、芹沢鴨と同じく水戸
系の尊王攘夷論者でした。ただ敬幕というより徳川慶喜への忠誠かもしれません。敬愛す
る慶喜が将軍に就任し、伊東は上機嫌だったそうです。その伊東の喜びをくつがえしたの
が孝明天皇の逝去でした。伊東が新選組を離脱する決意をしたのは孝明天皇逝去が原因と
いわれていますが、この辺りは複雑です。新選組に入り、一勢力をなした伊東がなぜ隊か
ら離れ、独立党を結成したのか。「倒幕」を目指したといわれますが、なぜ水戸系尊王論
の伊東が「倒幕」なのか?。なぜ新選組は彼を粛正したのか。粛正は近藤、土方の嫉妬か
らなのでしょうか?。とにかく隊内で人望があった伊東甲子太郎(北辰一刀流の名手)
 
戒光寺や西本願寺の彼らの知り合いが埋葬を懇願しましたが聞き容れられず、2〜5日間、
晒されたあと、新選組の菩提寺となっていた光縁寺に埋葬されたが、後に孝明天皇の御陵
のある泉涌寺。総門の手前左に戒光寺に移された。
父親が子供の時、老婆が「朝戸を開けるとお侍さんが死んでいた」と言う話しを聞いた事
を思い出した、新選組は京の人々には歓迎されてなく悪役として扱われていた、子母沢寛
著「新選組遺聞」・・・司馬遼太郎「新選組作品集」TVドラマ等で人気が沸いた。

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