(61話)

幽霊絵馬

ところ    中京区寺町竹屋町下ル

文化十三年(一八一六)のことである。
革堂に近い竹屋町柳馬場に”質屋”があった。主人は八左衛門といったが、どうした因縁
か、強欲非道で、考えることは”金”のことばかり。近所の人々は”鬼の八左衛門””鬼八
左衛門”と、うわさした。
この八左衛門にも、こどもが生まれた。舌をだすのもいやなケチも、さすがこどもには目が
ない。ある夜、妻と相談した。
「なあお前、こどもはりっぱに育てたい。それにしても商いがいそがしい。ここは子守りでも
つけようと思うだが・・・・」
夫婦はさっそく、子守りを捜した。が、日ごろの悪評のせいか、なりてがない。と、ある旅人
が江州(滋賀県)から、百姓娘を紹介してきた。
娘は「ふみ」といった。年は十歳。子供好きで、鬼八左衛門の子供もすぐになついた。
やがて、三年が流れた。
八左衛門は、おふみにさして不満はなかったが、気にかかることがひとつあった。子供を
連れて、革堂に行く事である。
おふみにすれば、境内は静かだし、善男善女が西国十九番の、この札所をたずねて一日
がたのしい。子守り歌も知らないいなか娘には、巡礼がよむ御詠歌を習わぬ経で覚え、こ
どもに聞かせた。八左衛門はますます気にくわない。そんある日である。
おふみは、いつものようにこどもを背負い革堂から帰って来た。御詠歌を子守り歌に歌って
{花を見て 今は望みも革堂の 庭の千草も盛りなるらむ・・・・・
八左衛門、よほどムシの居所が悪かったのだろう。
「ムッ!御詠歌まで、歌いくさって!!・・・・」
おふみのえり髪をムンズとつかむと、なぐるけるのセッカン。おふみは息絶えた。驚いたの
は八左衛門。国許には「ふみは男とにげた」と飛脚をとばした。
けれど、ふみの父は合点がいかない。とりあえず上京すると、革堂に参って、行方を観音
さまにすがった。と、そのときである。父親の目の前に、おふみの姿がポ!ッと立った。
「わたしは主人に殺され、庭に埋められています。ここに鏡を置いておきますから、どうぞ
一緒にとむらってください」
八左衛門の悪業が露見したのはいうまでもない。父親は、おふみの菩提をとむらって、見
たまの亡霊を絵馬に描かせ、鏡をそえて革堂に奉納した。
 
革堂は行願寺といい、天台宗延暦寺派の末寺で、千手観世音を安置する西国三十三カ所第
十九番霊場。
 
開祖行円上人寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられてい
るが豊臣秀吉によって寺院が集められた(寺町通)、現在の場所
開祖行円上人の鹿にまつわる話は哀れ。
射止めた母鹿が身ごもっており、小鹿を産み落として死んでしまう上人は殺生の罪を悔いて
仏門に入り、母鹿の革を肌身から離さなかった。人々は皮聖と呼んだが。
この話し坂上田村麻呂空也上人ともに類似点があります。
 
おふみの絵馬はいま、本堂十一面観音の横に納められている。縦一・五メートル、横一メー
トルの杉板に、鏡がはめこまれ、おふくの姿が描かれているが、もはや、ほとんど輪郭さえつ
かめない。生々しい鏡だけが、暗い本堂の中でもの悲しくも思える。
絵馬はお盆の八月十五,十六の二日間、毎年、公開されている。

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