(55話)

浄禅寺

ところ    伏見区上鳥羽岩ノ本町

寺伝によると文覚上人の開基。鳥羽街道に面し、京の六地蔵めぐりのひとつ「鳥羽地蔵」とし
て信仰され。境内入り口には、正保4年(1647)に建立された林羅山の撰文による恋塚碑、
袈裟御前の首塚といわれている五輪塔の「恋塚」があります。本堂には、袈裟御前の木像が
祀られています。
 
上西門院(鳥羽天皇の第二皇女、統子)に仕える、北面の武士遠藤盛遠は十九の年頃鳥
羽に住む同僚の渡辺亘の妻袈裟御前に一目惚れをし。血気盛んな年頃押しのいっ手とバ
カリに云い寄り。一方、袈裟にも少しは気があったのでしょう、何度か密会を重ねるうちにす
っかり心を奪われ、もはやこれまで、ある日盛遠は、「亘と別れて、俺と一緒になれ」と、手荒
いプロポーズを受けた。
袈裟にすれば、ほんの遊び心でしたが、一本気で思い込みの激しい盛遠を説得する自信も
なく、自らにも非があるので、まさか夫に相談するわけにも行かず、はてと困り果て!!
さんざん悩んだ揚げ句、一計を案じた袈裟は、「今夜、寝静まった頃に寝所に入って、夫を殺し
て下さい」と、言い出しました。
夜も更けて、亘の館を訪ねると、袈裟に教えられた寝所の扉は、すでに開け放たれていた。
袈裟の心遣いかと一人合点した盛遠は、太刀を抜き放って、難なく部屋へ侵入することがで
きた。
寝所の闇に目を凝らして見ると、確かに人の寝ている気配が!!。
足音を忍ばせて近づいた盛遠は、盛り上がった寝具の胸のあたりを目掛けて、一気に太刀を
突き立て。確かな手応えがあって、亘は血吹雪の中で、絶命したと確信。
袈裟に見せんがため、首を掻き取り髪を掴んで、表に出ると、館の外は何事も無かったよう
に、静寂に包まれ、月の光がこうこうと、木々の間から差し込み、まさに快心の足取りで、手
に持った首を確かめんとして、月明かりにかざした盛遠は、腰を抜かさんばかりに仰天!!
盛遠がそこに見たのは亘に非ず、袈裟御前の首だった。
思わず放した盛遠の手から、袈裟の首が地面に落ち。 ごろりと転がって、血と土にまみれた
首は、じっと盛遠を見上げていた。
おのれの愚かさを知り、この世の無常を思い知った盛遠は墨染めの衣に身を包み、雲水
「文覚」と名のり、厳寒の那智で荒行に挑みましたが、月に照らされた袈裟の顔は、生涯
脳裏から拭い去る事は出来ませんでした。。。。。。『源平盛衰記』の一説
 
この話し菊池寛「袈裟の良人」や、大映映画が羅生門に続き「地獄門」カンヌ映画祭グランプリ
受賞する等、有名な伝説話しです。
 
恋塚寺が京都市内に2ヶ所ある。ひとつは上鳥羽の浄禅寺。通称恋塚寺といいます。もうひと
つは下鳥羽の恋塚寺。ふたつの寺には同じ伝承が伝えられ、どちらにも恋塚と石碑があります
「恋塚」について、近世の地誌『雍州府志』(巻5)には「恋塚」は誤りで、実は「鯉塚」でるという
ことが書かれています。「古上鳥羽池中有大鯉魚 時々作妖怪 土人殺之 為築塚云」とある
ように、妖怪となって現れた鯉を退治して塚を築いたのが「鯉塚」であるというのです。
 
文覚上人はまぎれもなく実在の人物であり、那智に千日籠り。大峰三度、葛城二度、高野、
粉河、金峰山、白山、立山、富士山、伊豆、信濃の戸隠、出羽の羽黒、すべて日本国残る所
なく、修行して回って、都へ上ったところ、飛ぶ鳥も祈り落とすほどの刃の験者(刀の刃のよう
に鋭い験力を持つ修験者)と噂された。

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