(52話)

神泉苑

ところ   中京区御池通神泉苑町 

ひぜんさん_____といえば、それだけでわかった神泉苑おそらく日本最初のイベント
会場でしょう。二条城の南、小さなみやびたこの池を、歴史好きな人ならだれでも、桓武
天皇が平安京造営当時から伝わる現存唯一の遺跡として知っている。
 
平安還都以前、北山等の水がたまり池沼の多い湿気帯で、内裏造営・延暦十三年(794)
と同時に一つの池を利用して禁苑としたのが起こり。つねに清泉をわき出していたので、
その名がつけられた。東西250メートル南北500メートル。いまではその広大さは想像すべ
くもないが、伝えるところによれば、自然の景観をそのままとりいれた豪壮な庭園だったと
か。桓武天皇をはじめ、嵯峨天皇ら歴代の天皇はここに遊んだ。また、悪疫退散・雨祈な
どの宗教行事も行われた。
それだけにこの池にまつわる話は多い。鵜が池のなかから太刀をくわえて白河天皇にさし
出した名刀鵜丸伝説、弘法大師、守敏僧都と降雨祈願法力争いの談、小野小町の雨乞い
・・・そのなかから、「今昔物語」、「宇治捨遺物語」に伝わる話しを一つ・・・・
 
神泉苑は、物見高い人で黒山の人だかりだった。
文徳天皇(850年)の時代である。ことの起こりは天皇がここに招いた一人の僧。この僧が
自らいうには・・・・
「波太岐という山にこもって、もう五十年も五穀をたち、木の実をたべて行を続けた」
そうで、今も五穀を断っている、神泉苑の人だかりも、この僧をひと目見んとかけつけた人
たちだった。
「どこにおられるのじゃ、穀断の聖は・・・・・」
「ほれ、ほれ、あそこじゃ、俗離れしたお顔をしてござる」
ワイワイ、ガヤガヤ・・・・・・・・そんな人ごみのなかに、先ほどからじーっと目を凝らしている
一人の公達(きんだち)がいた。
「どうもおかしい。穀断の聖というが、はたして糞はどうだろう。やはり世の人とちがうんだろ
うか」
ある日、公達は、穀断の便所に忍んだ。そして、いましも聖が終えたばかりの、ホカホカの
ヤツを見た。と、案にたがわず、かたまりの中に米ツブがポッポッ。公達はニタリ笑ってうな
ずくと、こんどは聖の部屋にはいって畳みを上げた。下からは米袋がザクザクでてきたのは
いうまだもない。
調べられているとは知らない聖、境内で折から神妙な顔でおさまっている。公達は叫んだ。
「このニセ野朗!!穀糞聖!穀糞聖!」
聖は、あとを見ずに逃げ去ったのだった。
 
一羽のアヒルが、朱の太鼓橋の下をすべっていく。放生池と呼ばれ、橋を、念じながら渡る
と願いが叶うといわれている。池の中央の島に竜神を祀る。又自分の病気を亀や魚に託
し、この池中に放つと病気が全快するという言い伝えがある。
徳川家康が二条城を築城する際に大半が取り壊され、今ではわずかに名残をとどめている
に過ぎない。
神泉苑・平八で元祖うどんちり¥2.500から京会席 雪 ¥15.000 を食するのも良いですよ。

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