(50話)

こぬか薬師

ところ  京都市中京区釜座通二条上ル

その昔、疫病から万人を救ったといわれる”こぬか薬師”は土地問題という現代病に侵食
され、小さくなっていた。隆盛の当時、大黒町一帯に境内をかかえていた薬師院も今では
本堂と庫裡(くり)を残すだけ。
 
こぬか薬師は水薬師、蛸薬師と並ぶ京都七薬師の一つ。元禄元年(1688)黄檗宗の鉄
面和尚の手で開かれたと伝えられる。
本尊は薬師院自慢の一つ、薬師如来像で、叡山開祖の伝教大師(最澄)が”一刀三礼”
(1回 刻むたびに3回拝む)の礼を尽くして彫った七尊体の一体。今では叡山と、この薬
師院と二体だけしかないと言う貴重な象。
像は当時の美濃の国(岐阜県)の医徳堂に安置されていたのを織田信長の勧請で薬師院
に移されたという。
像にまつわる伝説もいろいろある。
 
開山当初のこと、京都でたいへんな疫病がはやった。今でいえばコレラと推定される。祈
祷をしても、多くの医者がどんな知恵をしぼつても一向におさまらない。そんなとき当時住
職の夢枕に立った如来が「一切の衆生わが前に参ぜよ、諸病ことごとく除くべきに、こぬか
こぬか」とおっしゃたとか。この話を伝え聞いた人々は、われもわれもと如来像にひざまず
いて治療を祈り、さしもの難病が消えたという。
それが当院をを”不来采薬師””こぬか薬師”と呼ぶようになったといわれる。
 
また、一説にはこんな話しもある。この辺の女性に鹿子髪を結う人が多かった。その女性
達に信仰が厚かっことから鹿子薬師。それがなまって”こぬか薬師”となったともいわれ
ている。薬師如来は別名大医王仏、とも呼ばれる仏様。往時は多くの信者があり、境内も
今と違って大黒町一帯にまたがり、薬の市が立ってたいへんなにぎわい。全国各地から薬
草、薬種を持ち集まって売買していたという。
 
当院から南の二条通。薬問屋も、もとをただせば薬師院の薬市から始まったと伝えられる。
また夜店も盛んでしたが、戦争を境にさびれるいっぽうで、信者も四散してしまい・・・・・・・
戦後、兼職住職の時代が長く続いたせいで荒廃してしまいましたが、昭和59 年に住職と
なった僧の苦労のもとに再興の道を歩み始めています。

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