(49話)

班女塚

ところ  下京区高辻室町西ル上ル

この塚の前を縁談事で通ると、かならず破談になるといった。昔は云われた、今では逆に
商売繁昌と言われる。 班女(はんにょ)伝説の”班女”の音が”繁昌”に通じるせいだろ
うか。
けれども、今はそんな伝説を信じる人も少なくなった。訪れる人もまれだ。小詞(しょうし)
は荒れはて、供花をたむける人もない。塚跡の赤いてらてらした大きな岩だけが、妙に大
ぎょうな姿で寝そびって小さな詞が残る班女塚。 
 
今は昔、長門前司に二人の娘がいた。姉は早く縁づいて、高辻室町に住んだが、妹はこ
れという、いいかわした男もおらず、姉の家から宮仕えしていた。
その妹が二十七、八になったある日、ポックリと死んでしまった。家が手ぜまだったので
姉は遺体を妻戸口に置き、近所の人たちに手伝ってもらい、棺におさめて鳥辺野に運ぶこ
とにした。
さて、一行が鳥辺野に着いたときだった。棺のフタが少しあいて、おさめたはずの遺体が
ない。
「はて、どこかに落としたのだろうか??」
人々は八方に分れて捜した。が、見つからない。そのうち日も暮れてきたので、家にとっ
てかえすと、不思議にも遺体は先の妻戸口に置かれたまま。姉たちは奇妙に思いながら
も翌日、また棺を鳥辺野に運んだ。
だが、鳥辺野に着くと、昨日と同じように棺のフタがあいて、遺体がない。
一度ならず二度までも・・・・・人々は気味悪がった。といってそのまま放置しておくわけ
にもいかない。また棺におさめようとしたが、こんどは遺体がガンとして動かない。まる
で根の生えた木のように。
と、なかに年老いた男がいて、「妹ごはここに置いてほしいのではないか。だから、動か
ないんじゃろ。ここに埋めてあげなされ」
妻戸口の板敷きをはがし墓をほうと、案の定、遺体はかるがると動いた。
姉はその後、他所に引っ越した。近所の人々も気味悪がって一人去り、二人去り。あたり
はすっかり荒れはてて塚だけが残った。
「宇治拾遺物語」巻三の十五にはこうある。
「・・・・高辻より北、室町より西、高辻表に六七間がほどは小家もなくて・・・」と。
 
班女とわ中国の、男に捨てられた女の故事によったとも、針才女(はりさいじょ)の転訛
(てんか)といわれる。
塚はいま、古ぼけた小詞と岩が残るだけだが、この塚をして勧請(はんにょ)(はりさいじょ
してまつっているのが近くの繁昌神社だ。
かつて、班女の霊をなぐさめて全裸の男がみこしをかついだとか。しかし、もはや祭りは
たえて久しい。。。。
 
鳥辺野
西のあだし野、北の蓮台野と並んで京都を代表する葬送の地であり、とりわけ数多の貴族
や僧侶がここで荼毘に付されたことから、火葬の煙は鳥辺山・鳥辺野のつきものになった。
東山の「東大路通り」から西に緩やかに下って鴨川までの東一帯又新幹線の通っている辺
りは江戸末期は処刑場があったと聞いている。

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