(43話)

目疾地蔵

ところ  東山区四条通大和大路東入ル 仲源寺内

四条大橋から南座の前を通りすぎて、大和大路通を渡ったすぐ右手に仲源寺があった。
繁華街のど真ん中に”不自然”にたたずむこの浄土宗の寺はとかくあわただしい通りの人
の目からは見落とされがちだがパソコンのヘビーユーザーには大変ありがたい寺。
仲源寺と聞いても、ピンとこない人でも、「目疾地蔵(めやみじぞう)」といえばすぐに
うなずく。七百余年にわたって、庶民から愛されてきた地蔵さんである。門をくぐって突き当
たったところに本殿があって、その奥にご本尊の木彫りの地蔵さんがすわっておられる。
大人の倍くらいのの大きさ、玉眼入りで、ほの暗い堂の中でその玉眼がうるんで見えあた
かも風眼にかかっているかのようで”目病平癒(へいゆ)”のお地蔵さんらしい。
 
寺伝によると、この”目疾地蔵菩薩”には”あ”がついていて”あめやみ(雨止)地蔵___
___。鎌倉時代の安貞(1228)鴨川のはんらんのとき霊告によって洪水を防いだので
その報恩のため一体の地蔵尊を安置して”雨止地蔵”と名づけた、とある。
いまの「情緒の鴨川」は、そのころ”暴れ川”で後白河法皇(1155)でさえ叡山の荒法師
と鴨の川に敵わずとゆわしめた。
雨のたびに洪水を呼び、付近の住民は逃げまどった。なんでも川域は東は縄手通、西は
寺町通まであって、(約2k)大川はあっという間にはんらんしては人命を奪った。
決定的な洪水対策も知らない為政者や一般市民は、洪水退散を神仏に祈願するしかなか
った。古記録にも「雨水九日にわたり家を壊し田畑を流し人畜弱死するもの多し」と当時の
悲惨な状況を伝えている。
鴨川はまた、”死の川”でもあった。寛正2年(1461)の有名な飢餓のとき「橋の下(いま
の四条大橋)に投げ込まれた死体は悪臭を放って四条河原にるいるいと横たわり折り重
なって、黒いカラスの群れが狂ったように死肉をついばんでいた」などというせい惨なもよ
うを書きとどめ、東福寺・大極正易という坊さんが残した日記「碧山日録」にも「無数の死体
が石ころのように転がり。。。。。、一日千二百人の死体のための塚をつくった」。。。。。。
 
たまり、洪水防止の願いを背負って安置された地蔵菩薩が、いつの間にか”あめやみ”か
ら”めやみ”にイメージチェンジしたのである。”あばれ川”はいま、若者たちのいこいの場、
ムードの川と変わった。
だが、この情緒たっぶりの川も、再び”怒りの川”に変容しないという保証はない。公害の
濁流が、鴨川を染める日がこないと、だれがいいきれるだるう。目疾地蔵さんが、いつまで
も”めやみ”だけであってほしい______と願っている。

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