(40話)

神使のイノシシ(亥)

 ところ   上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町

今年の干支は羊年。亥。猪突猛進。向こう見ずの典型のようで、良い方に向かってくれる
と願う年。何事もおめでたくというのが新年、見栄えはあまりさえないイノシシも裏を返せば
清廉潔白、剛直の動物といえなくもない。
このおめでたい干支と切っても切れない縁を持つ神社が町のど真ん中にある。 御所蛤御
門前の護王神社がそれ。桓武天皇平安遷都に助言した和気清麻呂と姉広虫を祭神。
清麻呂の御廟のある高雄山神護寺の境内にあった社を御所の守護のために明治19年、明
治天皇の勅命でこの地に移された。
拝殿前に狛犬(こまいぬ)の代わりに阿吽(あうん)の”イノシシ”が相対している。
お稲荷さんのキツネ、八幡さんのハト、お伊勢さんのニワトリ・・・・神使の動物はさまざまだ
が、イノシシというのは全国の神社でも、この護王神社だけだ。
 
和気清麻呂は一人、船上に帆をうつ潮風の音を聞きながら無念の涙をこらえていた。
神護景雲3年(769)8月である。ひそかに皇位を盗まんと図った怪僧・弓削道鏡(ゆげのど
うきょう)の野望を、宇佐八幡へ御神託をうけて阻止した清麻呂。おかげで
道鏡のうらみをかい、大隅国(鹿児島県)に流されることになり、いまその途中であった。
道鏡からアキレス腱を切られ、傷が潮風に痛む。
「悪計はいつか亡びるものじゃ。いま、私がここで死ぬのはかまわぬ。だが、今一度、宇佐
八幡宮に参ってから・・・・・」
清麻呂ははカジを回して、豊前国(大分県)諸田村(しもとだ)についた。宇佐八幡宮は
ここから1里。足の不自由な清麻呂には長い苦難の道のりである。しかも、九州には道鏡の
部下が散っていて、いっ襲われるとも知れない!!
一枚の戸板をカゴ代わにかつがせ、出発したときであった。どこからともなく黒い影がバラバ
ラと寄ってくるではないか。
「・・・・さては道鏡の?・・・・」
油断なく身構えて、よくみれば、なんと、影は数百頭のイノシシ。しかも、それらは清麻呂を
あたかも護衛するように取り巻くのである。清麻呂、イージス艦ではなくイノシシの護衛で無事、
宇佐八幡宮に参ることができたのだった。
 
つまり、魔難除けのお使いをイノシシやってくれた。この話は日本後記に記載されている。
又、明治三十二年、亥年に発行された十円紙幣には、イノシシ(日本画・竹内栖鳳)デザイ
ンされた。イノシシ紙幣は今の一ヶ月暮らせたと云いますから数十万円。
今年こそイノシシさんに護衛されてイイトシに上向きを願いたいものです。
 
      和気清麻呂(733〜799)
奈良時代から平安時代にかけて宮中に仕え、皇統の守護・平安京遷都・我が国初の私立
学校「弘文院」の設立に命をかけて尽力された。(正一位護王大明神)皮肉なことに太平洋
戦争まで三大忠臣(和気清麻呂・名和長年・楠木正成)の一人として軍部に利用された経歴
を持つ。
 
      和気広虫姫(713〜799)  
清麻呂公の姉君で、慈悲深く、4代の天皇にお仕えし、厚く信頼された。天平宝字8年(764)
に起きた藤原仲麻呂の乱の折には、乱に連座した375名の死刑者の減刑を天皇にお願いし
死罪を流罪に改められ、数多くの孤児を養育されたことから、子育明神として崇敬されている。
里子制度・施設養護(孤児院)の始まりとされいる。

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