(39話)

宗旦稲荷

ところ  上京区相国寺前町 

二条城の北に、児童公園としてはずいぶん広い二条児童公園がある。その公園の北
相国寺では、いましも宗旦宗匠のお点前が終わったばかりだった。
宗旦(1578-1658)といえば利休の孫。。。利休の死後、彼のわび茶を推進、千家を再興
した茶人である。
控え室に引き揚げる客の茶人たちはその見事な裁きに酔っていた。
「いつもながら美しいお点前でござるのう」
「あれを茶禅一味というでござろうか」
と、そんなにぎやかな控え室に、どうしたことか、いまお点前をしたばかりの宗旦宗匠、
ふらりとあらわれていうのである。
「みなさん、遅れまして。。。。これからお茶室の方へ。、。、。、。」
茶人たちはいぶかった。いま、当の宗匠からお茶をいただいたばかりだ。
「。。。。。おやおや、もう一度ですか??」
「そんなことはありますまい。私はいま着いたばかりで。。。。」
お茶会はまた開かれた。宗匠のお点前は前にまして美味しいかった。が、どうも様子が
おかしい。
しかも以後、宗旦宗匠の茶室にはこんなことがしばしば起こった。
「宗匠が二人いるのではないか」
茶人たちも疑い出し、調べることにした。宗匠を茶会に招き、一方自宅におられるかどう
か、たしかめようというなだ。
茶会の日がやってきた。
宗匠は定刻前にやってきた。一人が自宅に走った。宗匠はまだ自宅にいるではないか。
いまはもはや疑いない。一同は偽宗匠をかこんでせめた。宗匠、少しもあわてず
「いやバレましたか。申し訳ありません。実は私、この相国寺に古くから住む白キツネ
でございます。日ごろ、宗匠のお点前をかげで見ておりましたが、あまりの美しさについ、
自分でもやってみたくなったのです。そこで。。。。あとはご存知の通りございます。
どうぞお許しを。。。。」
茶人たちは、偽者にしては見事なお点前に免じて許した。
 
この宗旦キツネ、よほど粋と見えて、また雲水にばけて修行を積んだり、門前の豆腐屋が
破産しかけたのを神通力で助けたり。おかげで人々から開運の神として畏敬を集めた。
宗旦キツネにまつわる祠(ほこら)は、重要文化財宝蔵の東、鐘桜横にある。手入れが行
き届いていて、わずかに参道の飛び石に散った紅葉が美しい。
 
 
千利休が秀吉によって死に追い込まれたとき、先妻の子供長男の道庵は数寄大名・金森可
重を頼って飛騨高山へ、次男の少庵は蒲生氏郷によって会津若松へ逃れた。その後、蒲生
氏郷、前田利家、徳川家康らのとりなしで利休の罪が許され、千家が再興されたときには
次男の少庵が千家の2代目を継ぎ、3代目宗旦
道庵は細川忠興の茶頭となって豊後(大分)へ赴き、その地で最後を遂げた。以後、
利休の本系は少庵からその子孫宗旦へと継承されていくのである。

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