(35話)

鉄輪の井

 ところ  下京区堺町通松原下ル

「山州名跡考」にこんな話しがある。
堺町通松原下ルに。夫婦が住んでいた。妻は嫉妬深い女で、夫の帰宅が少しでもおそい
と、大変なヤキモチの焼きよう。
家庭は女性のことで口論がたえない。夫もおもしろくないなか、外に女性をかこって、毎日
のように通った・・・・・・・・・妻の怒りはいまは尋常ではなかった。
「くやしい!どうしてこのままで置くものか。のろい殺してくれようぞ」
しっとの鬼と化した妻、貴船神社に丑の刻まいりを発願した。
のろう為の人形を作り、うらみをこめて神木にうちつけ、呪文を二十ペンとなえて釘を打つ
満願は七日。いでたちは顔に朱をさし、からだに丹を塗り、頭に鉄輪をいただき、その三
本のツノに火のついたロウソク、口にはたいまつをくわえて丑の刻(午前二時)にまいる
祈りだ。
 
鬼気迫るその形相は「太平記」に「鬼形に異ならず・・・・・」とある。
満願を前にした六日目の日であった。
女の足に貴船の道はきつかったにか、深夜の祈りに弱りきったのか、妻は自宅近くの井
戸のほとりでバタリと倒れ、そのまま息たえてしまった。付近の人は妻をふびんい思い鉄
輪でもって塚をきずき、そして、この井戸に生まれたのが、水を飲むと縁が切れるというう
わさ。祈願者はと遠くから訪れた。塚にはお礼のつるべ縄や絵馬も多く上がった。
 
この伝説は「源平盛衰記」剣の巻きから生まれたとか。謡曲「鉄輪」はまた、これにもとづ
いて作られたともいわれる。もっとも史実には明らかでなく、宇治の橋姫伝説を修飾化し
たにすぎないともいう説もある。
けれども、縁切り伝説はよろしくないというので、寛文八年(1669)五月、稲荷大明神を
まつり、逆に縁結びの神とした。{貴船神社も今は縁結びで有名である}元冶元年
(1864)、火災で社殿は焼けたが、町総代が神霊を保管、新たに神社を建てて夫婦和合
福徳円満の神として命婦稲荷社と称した。昭和十年十一月のことである。
 
車にシリを追われながら堺町通を松原から南に行くと、右手の路地の入り口に「謡曲伝
示鉄輪井」の石標。くぐれば、狭いその路の奥に、朱のあせた鳥居が立っていた。今は
塚はなくて、入り口に井戸が一つ。上にしめ縄、四角い格子にとざされた口は暗い穴を
つくっている。
表通りを通る人がふらりと入って来た。まだ伝説は生きている。。。

 

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