(27話)

 

八百屋お玉

ところ  西京区大原野小塩善峰寺内

春近し日を浴びて、西山のあたりは紫色に煙っていた。まだ冷たさの残る風にのって、にお
う草の香。曲がりくねった山道を行くとぶーんと春の土のにおいが鼻をついて、やがて深い
緑に変わって西山の中腹に、ひときわ目立つた白壁、この白壁をめざしてけわしい山道を
いくと突然大きな山門に出会う。天台宗善峰寺。日本一大きい松と云うよりも長い(五葉の
松)松がある桂昌院が植えたと云われている、洛西のこの地京で最初に栄え東へ東へと行
き最終的には(江戸)東京に都がいった。
 
善峰寺、西国二十番札所として、今も人影が絶えない広大な堂の一角に、三代将軍家光
夫人、桂昌院墓所がある。そうして八百屋の娘であった桂昌院が、豊臣秀吉と同じ従一位
に任ぜられ、この寺の再興に尽すまでの数奇な運命が数百年を経た墓石に細かく刻み込
まれている。
桂昌院の出生はさだかでない。武家の娘、落ちぶれた旗本の娘、商家の娘と諸説がある。
将軍にとついだとあって、前身を隠したとも語られている。今、その一つ八百屋お玉説につ
いてたどってみれば。。。。
京都は堀川西藪屋町のあたりに、仁佐衛門と云う八百屋がいた。嫁とりをして何年にも成
るのに、いっこう子宝に恵まれない。貧しい商家であっても老い先を考えるとさびしい、思い
余った仁佐衛門、妻を伴つては観音様まいり。
「どうぞ子供をさづけて下さい」と参篭、水ごもりもした。一心こめた願いがかない、やがて
生まれたのがの女の子。”たま”と名づけ、大事に育てた。お玉は近所でも評判の器量よ
しになった。
目元はすずやか、鼻筋も通り、仁佐衛門は目の中に入れても痛くないほどのかわいがりよう
だった。
ある時、托鉢で通りがかった僧がお玉を一目見て「うーん」とうなった。
「この子は将来、将軍をしのぐほどの高位に登る、吉相だ。端相だ」とうなった。
お玉は仁佐衛門の没後、本庄家の養女となり、将軍徳川家光の側室お万の方の腰元づとめ
家光公の入浴の世話をしているうち、やがて将軍nお手がづき、五代将軍綱吉公をもうける
お玉は桂昌院として大奥で権勢をふるい、七十九才で没したとき、従一位にまでなっていた
「観音様のおかげでこれまでにして頂いた」____信仰深いお玉は、善峰寺に何度も寄進
寺禄二百石、三万坪の免税も取りはからい、応仁の乱で焼失した寺を立派に再興したという
 
         万世を十かかり経ても尽せじと
 
          君が恵みの南無観世音
 
お玉が善峰寺に献じた歌と伝えられている。
玉の輿にのる_______こんな伝説がいつか口から口へと伝わり、参拝者がたえない。

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