(25話)

 

負別阿弥陀仏

ところ  下京区東洞院六条上ル蓮光寺内

「お忙しいだろうが、ひとつりっぱな阿弥陀仏像をつくっれくれまいか」
仏師快慶(安阿弥)のもとに、ある日、東北の僧(山形県寒河江市・慈恩寺の僧覚長)が
訪れた。快慶は、鎌倉時代の大仏師のなかでも、多作を誇り、最も忙しい”売れっ子”だ
ったが、遠方からわざわざやってきた僧の求めに、
「すぐには手をつけられないが、やってみましょう」
と快く引き受けた、一年後に取りにくるよう約束した。
 
快慶は運慶とともに、東大寺の復興に参画、その造像に加わる一方、東大寺南大門の
金剛力士像を手がけ、生涯を通して二十点に及ぶ作品を残した。とても、他からの”注
文”をこなすような暇はなかった。
しかし、快慶は、あの豊かな人情味をたたえた高僧との”約束”をたがえてはならぬ、と
心に決め、暇をみては必死の思いで仏像を彫り続けた。百二十日。
「やれ、やれ。出来上がったわい。それにしても早く出来上がったもんだ」
快慶は、そのスピードぶりに、みずから驚いた。と同時に、仏像の出来ばえがすばらしい
ではないか。
「うーん、これは生きておる。あの高僧の魂が、それともわたしのが・・・・」
快慶は思わずため息をつきながらつぶやいた。
「これを他人に渡すのはしのびない」
それからの快慶は、自分のつくった仏像にとりつかれ、朝夕、その前にぬかずくようにな
っていた。
 
約束の日がやってきた。東北の僧もやってきた。
「いや、申し訳ないが、まだ出来ていません」
快慶は、ついうそをついて僧を追いはらってしまった。だが、しばらくして高僧がまたや
ってきた。快慶は悩んだ。とはいっても、もはやどうすることもできない。
「実は、この前、来ていただいた時にできていたのです。精進してつくった像と別れるの
がつらくて・・・・」
快慶は心の内をうち明けて、許しをこい、泣く思いで像を手離した。高僧は像を笈(おい)
に大事におさめ、さっそく東に向けて帰っていった。が、快慶は仏像とわかれがたまらず、
すぐ僧を追いかけた。山科の里で追いついた快慶は。
「どうしても気がおさまらない。もう一度仏にわかれを・・・・」
と僧にたのんだ。最後のわかれを、と笈の扉を開けると、不思議なことに仏像は分身して
二体となっていた。快慶と僧はともに感激の涙を流し、一体ずつをそれぞれ背負って東西
にわかれ、めでたし、めでたし
 
仏師の心が像に移ったという伝説。それ以来、二人が別れた山科の地を追分というように
なったともいい、また僧が持ち帰ったもう一つの像「笈分如来」は仙台市泉区にある。
 

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