(23話)

六波羅蜜寺

ところ  東山区松原通大和大路東入

当初、この寺は西光寺と呼ばれていたが、空也上人の没後、六波羅蜜寺に改められたとされて
いる六波羅蜜寺は町の中にあり、一般の民家が寺の傍まで迫っている。寺の規模は大きくなく
ここには山門もない、西国三十三ヶ所十七番札でもある。
 
醍醐天皇の第二皇子光勝空也上人は、当時京都で流行していた悪病を退散させるため、十一
面観世音菩薩を刻み、天暦5年(951年)に堂を建て、この観音像を祀ったとされ、これがこの寺
の創始と云われている。
当時は寺域も広く、平氏の邸館や鎌倉幕府の探題も置かれ、源平盛衰の史跡の中心だったよ
うである。NHKの大河ドラマ等に良く登場うする六波羅蜜寺
空也上人は自ら刻んだ十一面観世音菩薩を車に安置して市中を曳き廻り、梅干と結昆布を入
れ仏前に献じた茶を病人に与え、念仏を唱えて病魔を鎮めたという。上人は市民の中に入り伝
道に励むのを常としていたようである。
手に撞木と鹿の角を付けた杖を持ち、草鞋を履いた空也上人像は正に市中の清貧な僧侶の姿
であり、権勢を誇り民衆の上に立っていた当時の僧侶の姿は微塵も感じられない。
また、念仏を唱える口からは六体の阿弥陀仏が現れたという伝承も木像に表現されているが、
これが空也上人の神秘性を高めるのに独特の効果をもたらしている。
 
空也が、貴船の山に篭って修行していると、毎夜のごとく窓辺にまで近寄ってくる鹿がありまし
た。上人はこの鹿がやってくるのを毎日のように楽しみにして友のように愛しました。
ところが、ある日からさっぱり姿を見せないので心配になり尋ね歩いていると、手に鹿の角と皮
を持った狩人に出会いました。この哀れな鹿こそ空也が探し求めていた鹿だったのです。
空也は訳を話して鹿の角と皮を乞い求め、皮は袋として身にまとい、角は杖の頭に取り付け、
生涯身につけて愛用し、代わりに狩人には瓢箪を差し出し、叩いて念仏することを勧めたとい
うことです。
狩人は、殺生の罪を悔い、恥じ、空也の弟子となって踊り念仏を修行して民間布教にあたるよ
うになったということです応和年間(九六一年〜九六四年)に京都で建立した西光寺は現在の
六波羅蜜寺
「空也上人立像」は他の木像と比べ全く異質の感じを受けるのであるが。
”空也上人像の作者”
運慶の四男康勝は意図的にこのような像を刻んだのかもしれないが、空也上人の実像はこの
木像から受ける印象と大きく変わっていたとは思いたくない。
 
六波羅蜜寺と聞けば何となく神秘に思うのわ、私だけなのか。!!
幼い頃、お盆が近づくと母に連れられ弟を天国から迎えに行くと云い鐘をつきに行ったもので
す、いつ弟に逢えるか夏の夕日が沈むまで待った記憶がよみかえってきた。
また近くに幽霊アメを売っていたのを憶えている、後をついて行くと墓地で赤子にアメを与えてい
た。明治初まで、この地帯一帯(東山)に墓地があり鴨川では処刑があったようだ。
 

重くとも五つの罪はよもあらじ

六波羅堂へ参る身なれば

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