(22話)

しぐれ桜

ところ  右京区嵯峨清滝月輪町月輪寺内

法然、親鸞の念仏が一生を風靡し始めた鎌倉初期の頃、念仏のあまりの流行に恐れをなした
朝廷は、念仏講を”邪教”ときめつけ、法然上人、親鸞聖人の追放をたくらみ、”念仏停止”の
断をくだして弾圧に乗り出した。
元久元年(一二〇六)暮れには安楽寺の”松虫、鈴虫事件”がおこつて翌年ついに法然に四国
親鸞に越後への配流を告げる。”島流し”を前にして二人は落西の九条家の別荘のあった愛宕
山月輪寺で静かに時を待っていた。
そのころ、人気のない山腹に一本の桜の木が植えられた。
「もう都の土は踏めないかも知れない」と京都を去る形見に植えた木だった。
歳月が流れて、木は育ち、やがてあでやかな花びらをつけ始めた。が、どうだろう、春らんまん
に咲いたそのあぜやか花弁は、しっとりとぬれているではないか。
「桜が泣いている。きっと上人をしのんで泣いているんじゃ」
「もったないことじゃ。桜にもわしらの心が通じたとは・・・・」
村人は、上人と涙を流して別れたときのことを思い出してささやき合った。桜は春になると花を
つけ、そしていつも泣いていた。人々はいつのころか、この木を”しぐれ桜 ”と呼ぶようになっ
た。
”しぐれ桜 ”の話は、たちまち全国に知れ渡り、花見をかねて愛宕山もうでを続けるようになっ
た。八百年近くたった現代も、桜はやはり泣いている。
この”しぐれ桜 ”の種明かしは・・・・・。実は同寺の東二キロにある”空也の滝”のしわだ
毎年、春先になると風向きが変わり、滝の水があわとなって月輪寺方面に吹きつける。このしぶ
きで、桜が花びらを咲かすころ、桜の木をしっぽりとぬらす仕組み。
 
”空也の滝”は空也上人{951年(天暦五年)醍醐天皇第二皇}が修業をした滝でさらに古き
時代に役行者と泰澄上人(白山を開いた人,雲遍上人,682?-767)が伝えられる修験道の聖地。
「お伊勢に七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」と昔から云われて来た。
愛宕神社は、貴船神社、比叡山延暦寺とともに平安京都の守り神社として重要な位置づけでも
あった 、平清盛もここに詣でている、保元・平治の乱の時の呪咀(政滴の)の舞台となりました。
他に天下人「明智光秀」が 本能寺の変の前日にここに詣でているこのときすでに火攻めにしよ
うと思っていたのであろうか ??
全国に800余社ある愛宕神社の総本山である 。
 
洛西清滝から山道を1時間近くのぼると月輪寺がある。戦前ケーブルで山頂を結び、にぎわった
愛宕山も戦中のケーブル撤去でぱったりと人波がとだえた、まま現代に居たっている。
月輪寺も廃寺までに追い込まれたがひとり僧が住職になり再建に尽したが亡くなり娘さんが尼
となり頑張って居ますが、何しろ檀家も無いため寺の修理も大変で京都市に援助を求めたが
自己負担一割(1千万)が必要で大変らしいです。行かれた方寄付お願いします。
観音さんは(平安時代一途彫り}重要文化財たに空也上人像等あります。

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