(21話)

松虫・鈴虫塚

ところ  右京区鹿ヶ谷安楽寺内  

法然。親鸞が登上した鎌倉初期のころ。
鹿ヶ谷山上に、法然の念仏道場あり、住蓮房、安楽房という二人の青年僧がいまして、
上人の高弟として道場をとりしきり、二人の説教は、都の貧しき人、女人たちの崇拝を
一身にあつめていた。
或る日、この二人の青年僧をしたって女性がふたり、念仏道場の門をくぐった。
気品ある顔立ちを頭巾でそっとかくし、うつむきかげんに入門したふたりの若い女性は、
実は御所をこっそり抜け出した、松虫、鈴虫というふたりの女官だった。心のよりどころ
を念仏道場に求めた二人の女官は、後鳥羽上皇(1183〜1198)の熊野詣での留守を
ねらって、宮中をそっと抜け出して鹿ヶ谷にたどり着いたのだ。が、人目をしのいだと
はいえ、美しい女性二人の姿は、村人を驚かせ、たちまち都の噂になった。
”美女脱出事件”は、間もなく上皇の耳ににも伝わった。
「無断で宮中を抜け出して、邪教にうつつを抜かすとは」と上皇は激怒して、二人の青
年僧をとらえ ”打ち首”の刑にしてしまつた。そして法然上人、親鸞聖人の二人を土
佐と佐渡へ島流し”念仏停止”の令を言い渡した。
世に云う”承元の法難”である。
松虫、鈴虫の二人は出家して、この寺の尼となったが、恋募った青年僧が”打ち首”
という極刑。仏と拝んだ法然上人までが自分達のために流刑となったとあって、ひど
く心を痛め、寂しい余生をおくった、という。
 
尼僧になってからの足どりがさっぱりつかめぬ、”松虫、鈴虫伝説”は、浄土宗の広
がりとともに各地へ伝わり、大阪阿倍野に”松虫通”、広島県の耕三寺、香川県な
どにも、”姫塚”があり、悲しい物語を今も伝えている。
 
後鳥羽上皇は『新古今和歌集や遠島御百首』などまれに見る多芸多能の方であった
”承久の乱”では「尼将軍」の北条政子に敗れ 隠岐島に流刑にされている。
それにしても、僧侶が打ち首になったのは日本の刑法史上でも珍しい出来事だった
でしうね。
 
散策の小道、東山鹿ヶ谷を、霊鑑寺から法然院に向かう静かな通りに面して住蓮山
安楽寺がある。二人の青年僧の名をとって、徳川初期(1670年代)に建てられたの
だと言う。
樹齢三百年のサッキを中心にして、緑の庭園に純白の石だたみがはえて、美しい。
門をくぐると、右手に住蓮、安楽の石塔、そして境内の山中に松虫、鈴虫の供養塔が
小鳥のさえずりが悲しく聞こえる中にひっそりとある。
 
松虫、鈴虫物語は、忠実をもとに肉付けされ、説教の教材として室町から江戸へ浄土
宗の教えとして人々の心を強く打った。吉川英治の「親鸞」の中では、二人とも青年僧
の”悲恋”として登場してくる。
 

住蓮房、辞世の詠

極楽に生まれむことのうれしさに

身をば仏にまかすなり希里

 

安楽房、辞世の詠

今はただ云ふ言の葉もなかりけり

南無阿弥陀仏のみ名のほかには

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