(185話)

黒谷光明寺

ところ      左京区黒谷町121

知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、豪壮な構え
の山門、御影堂(本堂)は知恩院と並び徳川幕府の城の役目を果たす為
でもあった
 
法然が比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに
腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、
金色の光が放たれた。そこで、法然は、ここに草庵を結んだ。これがこの寺
の始まりであるとされる、法然廟の前に、平敦盛と相対して熊谷直実(蓮生
法師)の五輪の塔がある生は墓所は熊谷寺にあるが、遺言により遺骨は、
西山の念仏三昧堂(粟生光明寺)に安置されたとされる。
 
幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった京都所司代・京都町奉行所
の出迎えを受け、本陣となった黒谷金戒光明寺に至るまでの間、威風堂々と
した會津正規兵の行軍が一里余りも続いた。この間、京の町衆も両側に人垣
を作り大歓迎するのであったが悲運の始まり。
守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き黒谷の地で、鳥羽・伏見の
戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。

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