(182話)

宝筐院

ところ         右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1

宝筐院(ほうきょういん)平安の末から鎌倉時代にかけては、数代にわた
って皇族が入寺し、住持となり臨済宗の単立寺院。庭園内決して大きくは
無いが春(若葉頃)と秋(紅葉頃)には多くのモミジやドウダンツツジがあり
晩秋初冬にはみごとな紅葉を見せる古仏の木造十一面千手観世音菩薩立
像を本尊に迎えて居る・・・・楠木正行と足利義詮の墓が仲良く並んで居る
風景は考えさせる
 
南北朝時代敵味方に分かれた楠木正行四條畷の戦いに戦って討ち死し(
23歳)敗北した後は、足利によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた
。 その正行の敵である足利義詮は、正行の埋葬を知ると、「自分の逝去後、
かねており敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の楠木正行の墓の傍らで眠
らせてもらいたい」と遺言を残したと言われ、貞治5年(1367年)、彼の死後ほ
どなく、正行の墓(五輪石塔)の隣の墓(宝筐印塔)に葬られた。その後、8代
将軍・足利義政の代に、その寺名は義詮の院号である宝筐院に改められたと
いう。

HOME *** ***NEXT