(181話)

石峰寺

ところ     伏見区深草石峰寺山町2

石峰寺は、禅宗の寺院で黄檗宗を開いた隠元の孫弟子に当たる、黄檗
宗六世千呆禅師によって、正徳三(1713)年に創建されました
寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は、晩年に10年間伊藤若冲が
下絵を描き、当寺の住職と協力して制作したもので、「若冲五百羅漢」とし
ていまも親しまれている。石仏は、薄いレリーフである長年の風雨で風化
した事に一掃の煩悩を感じさせるまた観音堂の格天井には若冲が天井
画を描いた。しかしこれらの絵は明治期はじめ、廃仏毀釈の嵐のなかで
処分され、今は信行寺(左京区)に「花卉図」などが現存している自宅は
天明大火事で無くなる同時代に円山応挙は豪商三井家が応挙の主要な
パトロンであったしかし画は若冲が現在 存在感を与えている様に感じる
石峰寺は伊藤若冲が晩年隠棲者として庵を結んだお寺で初めは春教(し
ゅんきょう)、のちは斗米庵(とべいあん)、米斗翁(とべいおう)名乗り画
の代償に米一 斗を頂いた援助してくれた弟が他界してからは、画1枚を
米一斗で売る暮らしを送るようになる。ただし、この晩年が若冲にとって
悲しみに満ちたものかというと、元来無欲な彼にとって貧困は苦にならず、
むしろ悠々自適の様子であったと伝えられている。若冲が、寛政12年9月
0日に85歳で生涯を閉じたのもこのお寺である

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