(180話)

大徳寺

ところ       北区紫野大徳寺町

山号は龍宝山(りゅうほうざん)。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大
燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されている
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっと
う)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び大
徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多
大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造
物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残してい
る。なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが
多い。
 
大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受け
て栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。侘び
茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以
来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州を
はじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。また国宝の塔頭龍光院
密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。このため京童
からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと
並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。
室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。二層の山門。
連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天
正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられた。
利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置した
が、このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉
の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる,、塔頭も非公開のところ
が多く京の寺院でも楽しみが少ない。非公開の三玄院は興味のある寺
 
京都五山の寺格
南禅寺 - 別格
天龍寺 - 第一位・相国寺  -  第二位・建仁寺 -第三位・東福寺第四位
・万寿寺(東福寺) - 第五位

足利義満の意向により、応永8年3月5日に相国寺を第一位、天龍寺を第二位
とする順位変更が行われたが、義満没後の応永17年2月28日に元に戻された。

今日では京都五山=京都の禅寺の格付と一般に勘違いされやすいが、
京都五山はあくまで足利氏の政治、政略的な格付けであり、大徳寺は同様の
理由から格を下げられ、後に五山制度から脱却している(詳しくは大徳寺の項目
を参照)。また、妙心寺は大内義弘に肩入れしたことが原因で義満の怒りを買い、
寺領すらも没収されていた。再興を果たすのは江戸時代からである。

HOME *** ***NEXT