(169話)

実相院四季

ところ      左京区岩倉上蔵町

地名は平安京建設の際,王城鎮護を祈って四方に経本を納める石蔵を造らせたうちの一つ,北石
蔵に由来。
実相院は元天台宗のの単立寺院で、ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王
で、 寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々 皇室
から大きな支援を受けて栄えていた春にはエメラルド色に輝く「床緑」は磨かれた板の間に映り 込
むカエデの木々。秋は真紅に染まり「床紅葉」と呼ばれています、円山応拳や谷文晁と競い合った画
家 で、虎を描かせれば当代一といわれた人物(岸駒)の画ある京都御所の近くに移り、ここ岩倉 に移っ
のは応仁の乱の戦火を逃れる為にこの地に平安時代以降、多くの貴族の隠棲地であった岩倉は、周
を山でとりかこまれた静かな所である。このため、大勢で行くよりも少人数で探索する方が楽しめる
と言うよりも効率的駐車場も無く交通の便も悪い今も隠棲地実相院門跡は決して他の寺院や寺寄りも
華やかさも無く寂れた趣の住職は天皇家と繋がりのある人物が務めた。床もみじ」が他所にない美しさ
で魅了します。幽玄と静寂に包まれた洛北の名所庭園は池泉回遊式庭園と枯山水の石庭の2つがある。
:秋季は一般注意車両駐車禁止通常4・6台
近くには幕末、岩倉具視が陰棲していた家で、維新の志士たち、大久保利通、中岡慎太郎、坂本
龍馬らが来訪し、王政復古の密議を行い、維新の大業が達成された。慶応3年には維新運動の中心
となって活躍し、のち明治新政府の右大臣となった。幕末の志士達の格好の密談の場
 
岩倉具視は,明治維新における王政復古に力を注いだ幕末,明治期の代表的な政治家です。文政2年
(1825)に参議正三位堀河康親(やすちか)の次男として生まれたのち,天保9年(1838)に公卿岩
倉具慶(ともやす)の養子となります。安政元年(1854)には孝明天皇の侍従となり,次第に朝廷
内において台頭し,発言力を増してきました。
そのような中で公武合体をすすめるため孝明天皇の妹,和宮の将軍家への降嫁を推進したことにより
尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られるに至り,文久2年(1862)に攘夷運動の高まりの中で辞官落飾
し,洛北の岩倉村に慶応3年(1867)までの間幽棲したのがこの旧宅です。
岩倉具視は,文久4年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し,主屋と繋屋を増築して住
居とした

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