(167話)

建仁寺

ところ         東山区大和大路通四条下ル 

800年前臨済宗の栄西(ようさい)によって開かれた京都で最古の禅寺である。
日本臨済宗の開祖で栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励し、喫茶の
法を普及された事はあまりにも有名です。日本の茶祖として尊崇されるのはそのためです、日本
曹洞宗の開祖である道元は栄西とは孫弟子の関係になる、栄西を非常に尊敬している。
都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経過
して鎌倉幕府の援助で正治2年(1200年)に建立されたとして入寺し、この頃から純粋禅の寺院と
なる。1202(建仁2)年、明庵栄西が開山。日本最古の禅寺。
14 の塔頭が建ち並ぶ。 「風神雷神図」二曲屏風(俵屋宗達 作)、雲龍図(海北友松作)「桜花
図」「秋草図」屏風(狩野山楽 作)などが有名。 国宝に指定されている茶室「如庵」を境内正伝
永源院に再現建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)など
たびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。
俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、
桃山時代の池泉回遊式庭園で有名
 
俵屋宗達
「謎の絵師」生没年不詳 慶長から寛永年間に活動は、江戸時代初期の画家。当時絵屋と呼ばれた
絵画工房を率い、扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していた
ようだ。同時代の仮名草子『竹斎』には、この頃京都で「俵屋」の扇がもてはやされたと記されている
宗達は単なる扇絵職人ではなく福島正則の指示び従い平家納経の修復に関わり、3巻の表紙と
見返しの計6図を描いた皇室からも作画の依頼があった、大正2年(1913年)に「俵屋宗達記念会」
が開催されて小林古径や速水御舟ら若い画家たちに強い影響を与えた。
作風は「風神雷神図」のような装飾的大画面のほか、水墨画の作例もある。水墨の名作「蓮池水禽
(れんちすいきん)」は、生乾きの水墨にさらに濃淡の異なる墨を含ませて「にじみ」による偶然効果
を狙った、いわゆる「たらしこみ」の技法が用いられている。
「たらしこみ」日本画の技法の一。色を塗って乾かないうちに他の色を垂らし、にじみの効果を生か
すもの。俵屋宗達の創案と考えられ、琳派(りんぱ)が多く用いた。
 
琳派(りんぱ)
琳派とは光琳派の先駆となる宗達は、桃山時代後期に興り近代まで活躍した、同傾向の表現手法
を用いる造形芸術上の流派、または美術家・工芸家らやその作品を指す名称である。本阿弥光悦
と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展、酒井抱一・鈴木其一が江戸に定着させ
た光琳が宗達を、抱一が光琳をそれぞれ傾倒し、その影響を受けている。狩野派や円山・四条派
といった他の江戸時代の流派は、模写を通じて直接師から画技を学んだのに対し、琳派では時間
や場所、身分が遠く離れた人々によって受け継がれたのは、他に類を見ない特色である俵屋宗達・
本阿弥光悦らを含めて「宗達光琳派」と呼んでいた江戸時代後期から明治時代にかけては評価が低
く、光琳の画の方が上だとみなされていた。そのため、明治期に代表作の松島図屏風を始め、多く
の作品が海外に流出した、ヨーロッパの印象派や現代の日本画、デザインにも大きな影響を与えて
いる。

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