(165話)

随心院

ところ 山科区小野御霊町35

 

弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基
隨心院が所在する小野は小野氏の一族が栄えたところである近江国滋賀郡小野村(大津市)の豪族
で遣隋使となった小野妹子をはじめ小野 篁(おの の たかむら篁の孫で小野道風、真言宗小野流
発祥の地となる。この付近一帯はこの地方の勢力者、小野一族の土地小野氏一族が栄えた地である
 
小町は現在の随心院の「小町化粧の井戸」付近に住んでいた。小町は小野良実の娘で宮中の後宮に
仕えていて、容姿端麗・超美人で和歌に優れた才能を発揮していたとか。小町のもとへ深草少将が百
日通ったという伝説の舞台がここである。積もる思いを胸に秘めて訪ねてきた少将に対する小町は冷た

かった。少将は『あなたの心が解けるまで、幾夜でも参ります。今日は第一夜です』と、その印とし
て門前のカヤの実を採って渡した。通いつめて九十九夜、その日は雪の夜であった。門前にたどり着
いた少将は疲れきって九十九個目のカヤの実を手にしたまま倒れ、再起でき
なかったという。境内には深草少将をはじめ多くの男性から小町へ寄せられた文を埋めた文塚。
小町が朝夕の化粧で使った化粧の井戸。文塚から少し北には寂しく1本のカヤの木があるが、少
将が亡くなったことを知った小町が庭に植えたもの。かつては九十九本あったという。また、小
町に寄せられた文を下張りにして造られたという「文張り地蔵菩薩像」と卒塔婆小町坐像(小町
の晩年の姿を写したという)が、表書院と本堂の間の部屋に安置されている。なお、随心院の祭
事で有名「はねず踊り」は、小野小町を忍んで小町と深草少将の百夜通いをもとにした芸能であ
る(毎年3月の最終土・日曜に催される)

 
天皇の妻は(順位)皇后・中宮・妃・女御・更 衣・女御までは殿舎が与えられたが、それよりも身
分が低い更衣は部屋(局)を与えられてた。 その局を町といった。要するに小町の名は天皇の妻で
ある更衣だった可能性が高い。
 
仁海僧正の開基逸話
一夜の夢に、亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、
飼養しましたが、日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたこ
とに因んでいます。古くは牛皮山曼荼羅寺と称された勅命により、神泉苑に請雨の法を九回もおこな
い正とも称されました。
一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。
 
 
隨心院には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡
残る。

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