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宇治・平等院

ところ        京都府宇治市宇治蓮華116

 

 

宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれ
ていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏
源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を
経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(102
7年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院
の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創
建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元
年1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
平等院は父(道長)偲んで法成寺を範となった寺院でもあり世界遺産にも登録されている、仏師定
朝(平安時代後期多)によってくの仏像に影響を与えた又10円玉や1万円札(裏面)でお馴染みの
有難い寺院でもあり法成寺(廃絶)を想い興せる。
 
法成寺は寝殿造のような構造で池も ある。まず東の五大堂から入り、東橋を渡って中島、西橋を
渡り、西の阿弥陀堂に入る。
釈迦の涅槃絵と同じように、頭北面西に寝る。九体の阿弥陀の手から九本の糸を引き、 それを握り
しめ、西方浄土を願いつつ往生した。九体の九は九つの世界の意、 南北朝初期にたびたび災難に
あい、廃絶する現在は、石標が残るただし東北院(左京区浄土寺)のみあり。
 
栄花物語・寛治6年2月(1092年)には、阿弥陀堂、金堂、五大堂、薬師堂、釈迦堂、十齋堂、東北院、
西北院などの様子が記載されている。

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