(151話)

桃山御陵・乃木神社

ところ        京都市伏見区桃山町板倉周防32-2

桃山御陵(明治天皇の墓)が北側にあるので、北面して鎮座している、京都・乃木神社 、乃木
希典(のぎまれすけ)乃木将軍祭神とす る全国乃木神社の中で最初に建てられた神社。
京阪電車(村野山人)を退職し、乃 木神社の建立に残りの生涯と私財を奉じられた、その後下関
市、函館市・室蘭市・栃木県 那須郡・東京都港区・滋賀県蒲生郡・香川県善通寺市に出来ました
第二次世界大戦以前、乃木は軍神として畏敬の念をもっていた信仰の対象して持てはや された。
 
旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなど、そ
の功績及び行為に対する評価は様々である司馬遼太郎は、著書『坂の上の雲』『殉死』や、福岡徹
は著書『軍神 乃木希典の生涯』において乃木を愚将と評価した『名将 乃木希典』桑原嶽は陸軍
士官学校卒、砲術の専門家として、中国、ビルマ戦線作戦に参戦・・・・・・・作家とプロ軍人との違い
を知ることが出来る昭和天皇は後年、「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希
典学習院長であった」と語っている休職中の乃木は、那須野に購入した土地で農業
に勤しんだ。これより後、乃木は、休職するたびに那須野で農業に従事したが、その
姿は「農人乃木」と言われた、それ以外にも、2.3回退職、休職を願いしている乃木は、日露戦争
において多くの兵を失ったことに自責の念を感じていた。
例えば、乃木は、時間があれば戦死者の遺族を訪問し、『乃木があなた方の子弟を殺したにほかな
らず、その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべき時ではないので、他日、私が一
命を国に捧げるときもあるでしょうから、そのとき乃木が謝罪したものと思って下さい。」と述べた。
また、乃木は、東郷平八郎及び上村彦之丞とともに長野における戦役講演に招かれた際、勧めら
れても登壇せず、その場に立ったまま、「諸君、私は諸君の兄弟を多く殺した者であります。」と言っ
て落涙し、それ以上何も言えなくなってしまったこともあったと云う、長州武士の家柄からも常に自責
を持っていた、明治天皇に自決を諌められ時からときを待った自決
 
西田幾多郎も、その著に「乃木さんの死について、かれこれ理屈を言う人があるが、此の間何等の
理屈を入れるべき余地がない。近来明治天皇の御崩御と将軍の自害ほど感動を与えたものはない」
 
辞世の句
 
           うつし世を 神さりましし
                  大君の みあとしたひて 我はゆくなり
                                           希典

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