(144話)

圓光寺

ところ             京都市左京区一乗寺小谷町13

瑞巌山・圓光寺は慶長六年(1601年)、徳川家康公が国内の学問の発展を図るため、三要元佶
(さんようげんきつ)閑室(かんしつ)禅師を招き、僧以外の入学も許可し学び舎として伏見に開いた
のが始りその後、相国寺の山内に移った後、寛文七年(1667年)現在の一乗寺小谷町に安住の
地を得、現在に至っています。
足利学校にも匹敵する学問所として繁栄した圓光寺は、別名「洛陽学校」と呼ばれた家康から送ら
れた当時の木製活字が数多く保存されている(日本最古と言われる仏典木版を所蔵している)
運慶作と言われる「千手観音像」、円山応挙作の「竹林図屏風」等の、日本美術有数の作品を所蔵
水琴窟(すいきんくつ)洛陽一栖龍池(せいりゅうち)があり樹齢三百年とも四百年ともいわれる百日
紅(さるすべり)がある、書院にも前庭にも一切仏具も経典を置かれていない質素さは禅宗の開祖は
達磨大師の教か小さな書院に大きな達磨大師の賭け軸,「紅葉の庭」にアクセサリーのように大小
十牛の自然石が臥せて置かれている古池が見えない位置に書院これこそ禅の極意か。
尼僧修行道場の明治初期の開設時には「神仏分離政策」に伴う「廃仏毀釈運動」が政府に寄って行
われたにも関わらず前住職が「紅葉の庭」として丹精をこめて今に至る最近まではわが国唯一の臨
済宗尼僧の修学道場であった非常に小さな寺院ですが最近TVで紅葉の庭を放映されている。
臨済南禅寺派の圓光寺の境内には東照宮(家康)や村山たか女(徳川最後の女隠密?)の墓もある
 
栖龍池・昇龍の庭
古池の「栖龍池」の命名から,配石を昇龍に見立てる雄大な構想が読み取れると言われているが
すなわち龍が住み家(池)とする栖龍池の傍にそこから上がって甲羅を干すように見える亀石とそ
の続きに寄り添う親子連れに見える亀石の三つの石を起点にして,他の石の自然石は,それは星
に書院から直接見えない古池を栖龍池と名付け,回遊式庭園の機能を生かした昇龍の庭
十牛(十石)
十石とは中国・宋時代の禅師が円形内に描いた「十牛図」に拠り、牛(石)の姿を中心に禅の修行と
境地を求めたもの
水琴窟
江戸初期に庭の片隅に造られた茶室近くの蹲踞(つくばい)、また縁先の手水鉢から溢れ出た水や、
手を清め捨てた水を利用する日本独自の庭園の音響装置京の旧家等で良く見かける。
水琴窟からは繊細な音が響いていますので、ぜひ竹筒に耳を付けて 心を癒して下さい。

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