(139話)

旧二条城

ところ            上京区下立売通烏丸西入ル

1564年5月、足利義輝(13代将軍)が三好長慶と松永久秀によって殺された。三好党と通じていて、
足利義栄(14代将軍)を支持していたのであるしかし義輝の弟である義昭(15人目16将軍)は信長に
加勢を頼み4万を超える信長の上洛軍は開始して三好・松永を滅ぼした朝廷から将軍宣下を受けて第
16代将軍に就任した。信長はさらに防備の整った城の必要性を認識し、義昭のために築城をすることを
決めたが義輝の二条城のあった地を中心に拡張して約400メートル四方の敷地に2重の堀や3重の「天
主」を備える城郭造の邸宅とした。信長の野望を達成する為天下統一を信長が義昭を利用して上洛を
果たした結果であり、他の勢力に刺激を与えたようである。義昭と信長の関係は徐々に悪化し信長の専
横に不満を持った義昭は信長の影響力を排除しようと企み義昭将軍は(上杉謙信、武田信玄、朝倉義
景、毛利元就、本願寺、比叡山)らであり、この勢力の間に義昭が入って文通し、少しずつ信長包囲
網を形成させていったが、此れも失敗し京都より追放される諸国を流浪したりして諸大名を頼った経
緯から、「貧乏公方・手紙将軍」と噂されたといわれる。
義昭追放後は、誠仁親王の住まいになった。本能寺の変 の際、信長の長男信忠が篭ったが、誠仁親王
が退去後、明智軍に攻められ自害、旧二条城は炎上してしまう。
余談になるが、信忠は妙覚寺に泊まっていて、本能寺 が襲われているのを知り、救援に向かうが、明
智の軍勢に阻まれ、妙覚寺の隣の旧二条城に入る。その際家臣が、戦わず落ち延びるよう進言するが
、落ち延びる事はできないと勝手に判断して旧二条城に残る足利義輝と同じ運命を辿るトツプの誤り
で織田は一代で亡び明智光秀方との戦いで廃城となった。
 
永禄12年(1569)織田信長が16代将軍足利義昭の為に築城した城である。天正10年(158
2)、本能寺の変で織田信長の嫡子・織田信忠と明智光秀方との戦いで廃城となった。現在の旧二条
城遺構としては、京都御苑蛤御門から右に入った所に地下鉄烏丸線建設工事の際に発掘された石垣が
移築保存されている。さらには、京都市西京区竹林公園には石垣として使われた石仏が保存されてい
る。ちなみに旧二條城跡の石碑は平安女学院北側のフェンスの中に建っている二條城は旧も新も歴史
の変わり目に登場している。

HOME *** ***NEXT