(137話)

瀧尾神社

ところ        東山区本町十一丁目

創建年代は不詳だが、「源平盛衰記」にその名が見える。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉が方広
寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座された。
境内の説明「本殿は北山貴船神社奥院御社旧殿を移建したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並
び、境内には絵馬舎、手水舎なども含め一連の社殿がまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社
の形態をよくとどめている各社殿に施された豊富な彫刻装飾が京都市内では珍しい」と書かれています
藤森神社のお旅所であるという、この神社。複合式の社殿は、京都では珍しい、社殿に施された彫刻装
飾は市内でも有数として知られています、日光東照宮風
中国の動物図鑑から模造した図を京の彫刻家・代々当主が新之丞を名乗る子息(九山新太郎)作の彫
刻が社内には多数見られる。回廊には十二支の姿、水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、霊獣で
ある犀や麒麟の姿も見える。正面から見える面だけでなく、裏側まで丁寧に彫りこまれており、正面とは
デザインも異なる。通常拝観で、裏側が見える場所は限られているが、ぜひ裏側の様子も見てほしい。
目が入れられた像が多いのは、江戸末期に目を入れる技法が流行したため。
本殿の正面は霊獣らしき彫刻に守られている。雲上におり、顔は鳳凰、四足、体にはウロコがあり、鳥の
ような爪を持つ姿は、何の動物や霊獣を表すのかわかっていない。少なくとも京奈には、同様の霊獣が
描かれた例は無いことから、日本でも1体しか存在しない像だといわれる。
其の鮮やかさから「夜な夜な川へ水を飲みに行っている」「恐くて眠れない」。長さ八メートルの色鮮やか
な体をうねらせる迫力ある姿に、当時、近所の人たちの間でそんなうわさが広がった。神社は拝殿の天
井に網を取り付けて竜を閉じ込め、人々の気持ちをしずめた。
江戸中期に行商から大呉服商になり、今の大丸百貨店の礎を築いた下村彦右衛門が伏見から行商に
行く日々熱心に参拝したのが縁で、下村家の援助で修復を重ねてきた。今の社殿は江戸後期の天保年
間の完成。豊富な資金を背景にした再建で、拝殿の天井に極彩色の木彫りの竜が据えられた。
お礼として、瀧尾神社境内にて食事を振る舞った。次第に人々は彦右衛門を「福の神のような人」と呼び
始め、「福助」の愛称が定着した。そこで、伏見稲荷の人形師が、彦右衛門をモデルにした伏見人形を
作ったところ、大人気となり「福助」の名前が全国に広がった近年人々の記憶から薄らいでいたが、瀧尾
神社は龍舞のほかにも、近年、神輿(みこし)を新調して祭りを復活させ、絵馬に残るキツネ面の行列も
再現した。

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