(13話)

崇徳地蔵

ところ 左京区聖護院中町

「われ魔界におち、天魔となって人の世を呪わん。人の世の続く限り、人と人とを争わ
せ、その血みどろを、魔界より喜ばん」
保元の乱(1156年)に敗れ、讃岐(香川県)に島流しとなった崇徳上人は、人の世をこ
う呪った。このすさまじいうらみつらみの主の霊をなぐさめる地蔵尊がこれだ。
昔は聖護院の森(現京大病院付近)の野中にあったそうで、明治以後、ここに移され
たと言われている。
保元の乱 ___それは天皇家、藤原家、源平ともに、親子兄弟、おじおい骨肉入り
乱れた争いをくり広げた戦いだった。
子が親を討ち、兄が弟を斬る。そして親が。。。。。。。 。。地獄絵図そのものだった。
崇徳上人はそんな戦いに敗れ、仁和寺に入り出家したのにかかわらず、讃岐へ配流
その後、8年もの長きにわたって、配所へとどめおかれ、ついに世を呪って狂い死に
した。 「天魔となって。。。。。」という上皇の呪いがその通りになったのか、その後の
都には大火事が続いた。悪疫がはびこり、大地震が襲った。さらには”保元の乱”と
再び肉親同士相争う戦乱が続いた。
「上皇さまのたたりじゃ」
「そうじゃ、そうじゃ」
都の人々は、上皇の霊をなぐさめるため、鴨の河原近く、聖護院の森に「地蔵尊」を
たてた。
”すとくいん”___”ひとくいん”いつのころからか、発音が似ているせいもあろう。
崇徳院の呪いのすさまじさもあろう。地蔵尊の呼び名は「人食い地蔵」という恐ろしい
名に変わっていき、人々はもっぱら”ひとくい”の名で呼んだ。そしてのち、無病息災
の守りとして、恐ろしげな名とは逆に親しまれている。
境内の一部は現在のご利益お車さまが何台かが有りました。

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