(125話)

一条大路

ところ           一条堀川の橋(一条戻橋)

右京の栄え共に一条通は平安京の最も北の通りだった。都の鬼門である北東角に当たり、南は九条
通当たる地に羅城門の怪奇譚が知られる。「今昔物語集」
平安時代(1918)学者・三善清行 の葬列がこの橋を渡る際、父の訃報に急ぎ紀州から帰った息子の
浄蔵 が棺にすがって祈ると、父が一時生き返って抱き合ったと伝えられる、死者が戻る橋(一条戻橋)
平安中期の伝承では、源頼光の家来、渡辺綱が戻橋で美女に化けた鬼と出会い、正体を見破って鬼
の腕を切り落とした。鬼はその後、腕を取り返しに戻ってきたという話
「今昔物語」では、大みそかの夜に一条堀川の橋(一条戻橋)を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団
に出会い、人から見えない透明人間に変えられてしまう話
「宇治拾遺物語」には、一条大路の建物に女性と泊まった男性が夜、馬の顔をした大きな鬼に出くわ
す話
「付喪神記」は、捨てられた古道具たちが人間に仕返しするため変身。祭礼で一条大路を東へ行列す
るうち、関白の一行にやっつけられる話。
千利休(1591)が秀吉から怒りをかいこの地に構えた屋敷で自害すると、その首は戻橋にさらされ、
大徳寺にあった利休の木像で、首を踏みつけにしたとされる
「一条下り松遺跡」宮本武蔵との決闘で知られる吉岡一門の道場があった所である、吉岡憲法は「憲
法染め」の家で西陣織発祥の地・決闘地が何時の間にか郊外の洛北「一乗寺下り松」成っている。
石碑が道に投げ出されていたり、削られていたりと被害に遭うが遺跡はこの場から動かず私有地で、
普段は遺跡がトタンで囲ってあり
小野小町双紙洗水遺跡」の石碑もあるがセメンで固定されている、、猪熊通を越すと黒田如水邸跡の
石碑がある。黒田如水は、豊臣秀吉の側近として仕えた軍師武将で秀吉・家康が恐れた天下を取る野
心家、黒田官兵衛のことである。
秀吉のキリスト教禁教令のもと、1597年には、日本二十六聖人と呼ばれるキリスト教殉教者は、ここで見
せしめに耳たぶを切り落とされ、殉教地長崎へと向かわされたと云われyりる。
晴明がここに住んだのも鬼門の守護のためだったと言われている。現代の一条道は日が沈む西一方通
行になつている。

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