(124話)(124話)

よろい掛けの松

ところ        左京区黒谷町121 金戒光明寺境内

会津藩松平の京都守護職本陣旧跡と言えば新選組と会津藩の関係千名の軍隊が駐屯できる寺
地に這うかのように見事な松が乱世の世出家する際、よろいを枝に掛けたとの言い伝えが・・!!
敦盛を討ったことに対する慙愧の念と領地をめぐる争い世の無常を感じていた直実は出家の方法
を知らず模索していた武士道に別れを告げ、仏門に入ることを心に決めた近くにあった松に戦に共
にしたよろいを掛け法然との面談を法然の弟子に求めて、いきなり刀を研ぎ始めたため、驚いた弟
子が法然に取り次ぐと、直実は「後生」現世の後、来世の一生について、真剣にたずねたという。法
然は「罪の軽重をいはず、ただ、念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし「法然上人伝全集」
参考文献)と応えたという。その言葉を聞いて、切腹するか、手足の一本切り落とそうと思っていた
直実は、さめざめと泣いたという法然は蓮生に1日6万遍の念仏を勧めており、蓮生はそれを守り通
したとされる。
建久4年ごろ法然の弟子となり出家した。法名は法力房蓮生 “ほうりきぼうれんせい”間違いやす
宇都宮頼綱が実信房蓮生 “じっしんぼうれんしょう”は小倉百人一首の起源人
蓮生は京都から関東にもどるとき、西を背にすると、浄土の阿弥陀仏に背を向けると言って、鞍を前
後さかさまにおいて、西に背を向けずに関東に下ったという。「浄土にも剛のものとや沙汰すらん、
西にむかいてうしろみせねば」(直実の歌:参考文献)出家前と変わらない反骨精神を伺わせる
松から少し下った場所に、直実(蓮生)を開基とする蓮池院(熊谷堂)堂内には、法衣に身を包んだ
直実と、まだ十六歳で幼さの残る敦盛の像が並んで安置されている。
蓮生は数多くの寺院を開基していることで知られているが法然生誕地に誕生寺を建立・東海道藤枝
宿に熊谷山蓮生寺・西山浄土宗総本山 光明寺 (長岡京市)熊谷寺 (熊谷市) 宝樹寺 (京都市右京区)
法然寺 (京都市右京区)

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