(122話)

八坂庚申堂(八坂の塔)

ところ        東山区金園町390

京都といえば、映画、TVで映像として写し出されるお馴染みの東山と八坂の塔(八坂庚申堂)サルの
寺日本三庚申の一つで大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂(現存せず)、御本尊青面金剛は、も
ともと、聖徳太子の時代に活躍した秦河勝により中国大陸より招来し、秦氏の守り本尊としていたもの
1000年以上前の平安時代に、このお寺の開基である浄蔵貴所が、この御本尊を庶民もお参りできる
ようにとここ八坂の地に建立したのが、「八坂庚申堂」の開山の由緒。
浄蔵貴所は式部少輔・大学頭・文章博士三善清行公の第八子である。母は嵯峨天皇の御孫で、夢中
に剣を呑むと見て懐妊し、仁和3年(887)3月8日出生した。誕生の時、室内に光明が輝き霊香が漂っ
たと云う・・・・四才にして千字文を読み、一を聞いて十を知り、七才にして出家を望んだ。
戻橋の名の起こりについては明らかではないが、通説では法力を持つ僧侶として、延喜18年(918年)
三善清行(享年72)が死んだ時、報せを聞いて紀州・熊野から帰ってきた子の浄蔵貴所が、堀川一条
橋の上で父の葬列に出会った。
浄蔵は棺にすがって悲しみ、神仏に祈ったところ、父が一時蘇ったので話をしたという故事から「戻橋」
の名があるという。
晩年の大仕事が、傾いた法観寺・五重の塔「八坂の塔」を正すことだった。法力を発揮するために・・・
加持祈祷(きとう)を行うのに選んだのが、この時すでに老いていた。浄蔵の子ども二人の力を借りるこ
とにし膝上に二人を乗せて祈った。
雲行きが変わり、風が吹き付け、鴨川が逆流八坂の塔は元通りになっていたというが渡来人で建築技
術を持った秦一族の協力で修復したのが事実である???

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